「物理学者ランダウ―スターリン体制への叛逆」

昨年暮れに刊行された「物理学者ランダウスターリン体制への叛逆」を読んだ。

物理学者ランダウ―スターリン体制への叛逆

物理学者ランダウ―スターリン体制への叛逆

物理系の人でランダウの名前をしらない人はおそらくいないと思うが、その過激でストレートな反スターリン主義の活動についての詳細はあまり知られていなかった。こうした形でまとめられるのは、世界でも初めてではないかと思う。内容のみならず翻訳者の一人、山本義隆さんの長いあとがきがとてもおもしろかった。「山本義隆」ときいても若い世代でその名前を知っている人はあまりいないかもしれない。

 東大全共闘の元議長、山本義隆(やまもとよしたか)氏(62)。東大で博士課程に在籍中に、京都大の湯川秀樹(ゆかわひでき)研究室で素粒子物理学を専攻していた。
「将来のノーベル賞学者」
 とも名指されたほどだ。しかし、政治の季節を走り抜けた山本氏は、静かに大学を去った。いま、都内の予備校で教壇に立つ。
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage04.html#yamamoto

ウィキペディア

「磁力と重力の発見」の著者といったほうが思い出す人が多いかもしれない。全共闘安田講堂の攻防をピークに収束した後に山本義隆さんは大学に戻ることなく予備校講師として在野で科学史の研究を行い、さまざまな著書を上梓している。いずれも物理学関係の本で、私も「熱学思想の史的展開」には随分と啓発された。一方で自身の社会運動を振り返るような記述を見かけることがなかった。今回のランダウの記録のあとがきでは、実に気骨に溢れた文章で収監中を含めた30年前のことを振り返り今に接続させている。興味のある人にはぜひお勧めする。そのうちまた思ったことを詳しく書こうと思っている。

決議三

そのあとがきの中で印象に残ったのが、次のような物理学会の歴史、「決議三」である。以下単なるメモ。

半導体国際会議組織委員会が米軍から補助金を受けたことを巡って臨時総会でなされた決議三(1966年)。
「今後内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力関係をもたない。」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/topics/ezawa50/gakushikai-7.html

60年代の日本物理学会にとって,社会との関係という観点からみて重要な出来事に,「決議三」の成立がある.1966年9月に日本物理学会が主催して開催した第8回半導体国際会議に,米軍資金8,000ドルが用いられていたことが翌年5月に明るみに出た.このことを問題視する会員たちの要求で9月に臨時総会が開かれ,提案された決議四つのうち,「日本物理学会は今後内外を問わず,一切の軍隊からの援助,その他一切の協力関係をもたない.」という「決議三」を含む三つの決議が成立した.7)

「決議三」が成立した後,委員会議では2年あまりにわたって,成立した「決議三」と現実の物理学会の運営とをどう調和させていくかが議論された.日本学術会議のかつての原子力三原則の場合とは違って,「決議三」は自分たち自身の行動に枠をはめるものである.したがって,決議の趣旨を日常的な学会運営の中でいかに具体化していくかという問題を避けることができなかった.実際,決議成立のあとすぐに,入会希望者の中に防衛大学校の卒業者がいることがわかり,入会を認めるかどうかの裁定を迫られた.米軍資金を受けた人に生物物理講習会の講師を依頼することの是非も問題となった.

「決議三」成立の背景には,激しさを増すベトナム戦争があった.当時,ベトナムで戦争を続けるアメリカや,それに協力を惜しまない日本政府へ批判の声が国民の間に高まっており,科学者たちと軍(軍事研究)との関係も,科学界の内外で厳しく問われる情勢にあった.米軍資金の問題は,新聞のスクープ記事を発端として会員の間に広まった.米軍資金の問題が「スクープ」となったこと自体,当時,この種の問題に対し社会的関心が高まっていたことの証しである.

日本物理学会の50年と社会 杉山滋郎