日記における四捨五入

プロパガンダは引用のソースを特定しないので要注意、と私は習った。逆はどうなのかな。引用のソースを特定しない言明はプロパガンダ、だろうか。といういいわけはともかく、誰が言っていたのかまたまた忘れてしまったのだが、こんな台詞がどこかにあった。
「二つ日記を書いて見なさい。一つの日記は誰かに読まれることを思って書く。もう一つの日記は、絶対に誰にも見せないで、ありのままを書く。しばらくしたら、自分がどれだけウソをつくことができるのか、よくわかります。」
そうかもなあ、なんて思ったのだが、誰かに読まれると思って何かを書く、という点において手紙に勝るものはない。延々と特定の人間に向けて手紙を書いていたことがある。一日もかかさずに便箋三枚にぎっちり一年書いていたのだが(ご苦労なことである)、そのときに恐ろしいなあ、と思ったのは、手紙の中で表現される自分が現実の自分を襲ってくるような気がしはじめた時だった。注釈しておけば、手紙の中の自分と、本当の自分の間には大きな差はない。うそをかいているわけではない。毎日虚構を創作するほどには、普通の人間には体力も知力もないのである。でも言葉で自分を確定しているうちに、現実の自分との間になんらかの微妙な差異が生まれる。自分の中のほんの小さなことを四捨五入されることで生まれる差異。その差異がいつしかフィードバックされてくるのだ。
データの解析でも、一番下の桁数の四捨五入の仕方が結果の違いに大きく関わってくることがある。たたみこみ計算の過程などでで微妙な違いが大きく増幅されるためなのだが、毎日書く、ということはこれによく似たところがあるとおもう。

毎日映コン:表彰式、女優主演賞の深田恭子さんら喜びの声

バイク二人乗り青春アイドル映画といえば私にとってはガス・ヴァン・サントの"My own private Idaho"*1である。グランジの聖地にて展開されるストリートの青春、男娼、眠り病、階級差。リバー・フェニックスキアヌ・リーブスが主演と聞いたときに、ガス・ヴァン・サント、大丈夫かよ、と思ったのだが実際に観てみて、やるなあ、ガス・ヴァン・サント、という感想だった。暗いパステルののっぺりした幕間のスチルがとても印象的な映画だった。
というわけで日本版のバイク二人乗り青春アイドル映画、下妻物語である。id:eri-wのオススメで買って帰ってきたのだが、これまたとてもよかった。名作とは言いがたいが、青春映画の王道を踏みしめて(私は”アウトサイダー”に始まり、青春映画が好きで好きでしょうがない)アツイ友情が炸裂。なによりも私が気になったのは土屋アンナの存在感だった。不良高校生の雰囲気はそもそもの地らしいのだが、それにしてもあまりにはまっていた。DVDの役者コメント付のバージョンを眺めていたら、なんと、土屋アンナ、自分が出てくるところ以外は寝ている。大物。主演女優賞、私だったら土屋アンナに与える。

*1:"ガス・ヴァン・サント"のキーワードで知ったが、邦題は”マイ・プライベート・アイダホ”なのだとか。いけないなあ。いけないよ。省略の仕方がとても犯罪的。