ギリシャ

過去無珍先生と離れて暮らしたのは最大48時間であるが、ついに4泊5日のミーティングに一人で参加して少々緊張気味。義理の妹にこの半月で左ハンドル右側通行マニュアル運転をカタロニア人の友人と共に特訓し、送り迎え等に効率の滞りがないように計らったのであるがやはり不安である。ひそかに友人一同にも私がしばらくいなくなることを告げ、たとえ私が道中遅滞、逮捕、行き倒れなどになってもどうにかなるようにはからったつもりである。とはいえ、今日は泣いていないだろうか、など不安になりながら、ここ数年はじめて本格的にひまになった時間、空港で待合席に座りながら虚空を眺めたり、ミーティングのコーヒーブレークの列にならんでぼけっとした瞬間、私は育てるのに必死なばかりだったのではないか、とはたと気がついた。無珍先生を自分が好きになっていることにはじめて気がついたのである。無珍先生という人間、たとえば今日は保育園で例のごとく高いところから飛び降りて転がりうえーん、と泣いていないか、あの坂を今日もわーいといいながら駆け下りたのだろうか、今日はどんなに上手にケータイ電話の真似をしたのか、このメシはうまい、うまい、と相好を崩して首を振ったのか等、気になって仕方がない。私の経験を照らし合わせるとこれは愛である。

ミーティングでは日本のことをきかれる。最近報道されなくなったけど、どうなっているのだ、ときかれる。フランス人に「耳のない子ウサギはどうなったのだ」とか、スペイン人に「退役エンジニアの神風部隊は今どうしている」とか、ドイツ人に「六ヶ所村の核燃料処理場は今後どうなるのか」ときかれ、その日本人並みの知識をもつ人々を前にすると、普通の日本人並みに気にしているんだな、と私は思う。耳なし子ウサギについては「原発事故との因果関係が成立しないことが問題になっている」というと、フフン、という鼻笑いで答えられ、退役エンジニア特攻隊は被ばく健康影響の年齢格差を是正するものであると考えられていると述べると「人権は?」と反論され、六ヶ所村については選挙結果について、圧倒的な資本による搾取の状況が、と答えると「でも選挙でなぜ賛成派が勝つ?」というきわめてまっとうな批判がそこには待っている。これ以上のグローバリゼーションがあるだろうか。2010年はリーマンショックが社会に全面化した日本のグローバリゼーション元年である、とかねてから私は思っていたが、こうしたな形のハードランディングがあるとは私は本当に考えていなかった。私という日本を表象せざるをえない存在は海外の最前線でそのような経験をしてる。