対象になり切ること

零歳児の世話は実に手間がかかるもので、想像はしていたがかくなる状況になることは実感として持っていなかった。そもそも私は子供を持とうと積極的に考えたことはこれまでなかったし、彼女が赤ちゃんを産むと決意したときにも、そのことがわかっていた彼女は「私が全部やる」とまで言っていたのだった。自分勝手に生きてきたこれまでの業が廻ったのか、今や私は勝手なる赤ん坊の世話をやたらとみることになったのだった。
とはいえ、よかった点、悪かった点、何事でもそうであるように双方ある。悪かった点はもちろん、自分の時間がなくなったということ。いまだに自分勝手ではあるいが、かつてのようにはいかない。よかった点は、母親の苦労を知った、ということである。父親というのは子供の世話を母親に押し付ける。多かれ少なかれ、そうなのだと私は思う。事実私の父親はそうであったし、私が父親となると知った3人の子持ちのドイツ人の友人は「男にできることなんて結局そんなにないからなあ、大変だと思うこともないよ」と酒を飲みながら言っていた。
それをきいて、そうだよな、結局子供は母親のものだ、と納得していたのはそんなに前のことではない。目下、義理の妹が母親のように無珍先生の世話を見てくれているが、本当の母親ではない義理の妹に大きく依存してしまいがちになるのは私の根底に「子供の世話は女が見るもの」という考えがあるからなのだと思う(関係ないけれど、カントが堂々とプロレゴメナでそのような章をたてている。女の性質は子供の世話を見るために絶好の性質である云々。時代が違うのでこの程度の男女差別はあたりまえだったのかもしらんがそれでもげげっ、と私は思った)。説明しにくいが、日々そうした傾向を自分の中に発見するたびに、かえすがえすもそのことに思いいたる。

雑務もいろいろあるので、正月を兼ねて12月半ばから1月半ばまでの予定で日本にいる。近所の神社にいってみたらなんと私は今年が本厄とかで、これから本番かよ、とぶつぶついったのだが、その足でおみくじをひいたら大吉だった。よかったよかった。プラマイゼロで、普通、であってほしいものである。
正月はまとわりつく無珍先生を尻目に「田中清玄自伝」を読んだ。一度絶版になって手に入らなくなっていてとても残念なのだが、最近ちくま文庫で復版。帰国してアマゾンで早速購入。実におもしろかった。戦前の武装共産党書記長から戦後の天皇主義者へと大きく振れた、毀誉褒貶の激しい人物であるが、生き方として一貫している。次の言葉は年頭の引用としてふさわしいかもしれない。
「中途半端で、ああだ、こうだ、と言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけで、ちんまりと固まったりする。自由人になり切ること、もっとわかりやすくいえば、対象になり切ること。政治家なら、国になり切り、油屋なら油田になり切り、医者ならバクテリアになり切る。それが神の境地であり、仏の境地だ。」
対象になり切ること。科学者の真髄を右翼の大人物が喝破していることに私は実に驚いたのだった。

大学以来今まで時候の挨拶は返事しかしてこなかったのだが、昨年のことがあって考え方がずいぶん変化して、今年は250枚のカードを送った。250枚も送ってしまった、と意気揚々と恩師に打ち明けたら、「私は800枚もある」とのこと。しがらみ、といえなくもないが、生きるとはそのようなことでもあるのだろう。自由な個人であるとともに、社会の中にその自分をおくことは同時である。その中に私がいる。対象になり切る、ということはそのようなことでもあると私は思う。

今年もよろしくお願いします。