続・ノルウェー

ノルウェーの滞在先のホストマザーの家には、死んだ私の彼女も訪れている。94年のことで、留学中の妹に会いにノルウェーを訪れた。お礼状をかねた彼女の95年の年賀状がキッチンの壁に飾られていた。幾種類かの模様の和紙で縁取った手作りのA4サイズのカードで、真ん中には年賀の文句、和紙の日本人形が添えられている。下のほうには小さなアルファベットの几帳面な字面で、英語の礼が教科書的に丁寧に述べられている。その判読しやすさに重点が置かれた字面に、彼女が肩をすくめてマウスを細かく動かしながら図面をひいている様子などを思い出して、その礼状の一文字一文字を彼女が丁寧に書いている様子が目にうかんだ。心がちくちくした。94年のころの彼女を私は知らない。09年の今、彼女はこの世にいない。知らなかった存在と、失った存在。その礼状は目の前にあるのに、どうにもありえない存在のような気がしてしまう。

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ノルウェーにいる間に、滞在先の近所の家に招かれておしゃべりしたりすることが何度かあった。会話しているうちにわかったのだが、中産階級のある程度お金に余裕のある老後を過ごしている人たちだった。女性の権利が守られていてすごい国ですよね、と私が知っているノルウェーについて話題をふると、そりゃもうあたりまえだ、それよりもですね、と彼らは移民問題について話題にすることが多かった。その問題とは「激増する昨今のパキスタン人移民」とのことで、とくにオスロの中心部にはパキスタン人ばかりで危ない場所がある、などと恐ろしげな顔を浮かべながら説明してくれた。なんでパキスタン人ばかりなんですか、と私は質問してみたけれど、明確な理由はあまりないようで、とにかくパキスタン人が増えた、とのことである。
私は移民のつもりではないけれど、なにしろ14年もドイツに住んでいるので半ば移民のようなものである。だから、上のような悪気はないのだろうけれど典型的に排外的な言動を聞くと、そうなんですか、と話をききながらも心がぴりぴりしてしまう。ヨーロッパのどこの国にいっても日本人であるといえばたいていの場合、おお、それはスバラシイ、と親近感をもたれることが多い。とくに上のような中産階級の保守的な人々に人気が高いのは、単に日本人が彼らにとって脅威として存在することがあまりないからなのだろうと思う。人畜無害とみなされているのである。そうであっても街で一人でうろうろしていたら私もまた「不穏分子」なわけだ。
そんなわけで、ノルウェーパキスタン人のことが気になっていたので、ドイツに戻ってからちょっと調べた。簡単な統計がノルウェーの統計局のサイトに掲載されているのを見つけた(おもしろいことに、日本語ページがちゃんとある)。そこに、移民一世と二世の合計人数を1995年と2008年のふたつの時点で出身国ごとに比較した表がある。
移民の数は全体で、9万9000人から20万2000人に増えていて、人口比では5パーセントからおよそ10パーセントに増加している。このうち、一番多い移民は実はパキスタン人ではなく1995年のおよそ5000人から3万2000人に増えたポーランド人である。また、ソマリア人も3000人から2万人強と、かなり増えている。ではパキスタン人はどうかというと、95年には1万9000人近くだったのが、08年には2万9000人。移民一世だけの人数動態と比較すると、そもそもパキスタン人が多かったのだが、人数の増加は二世が増えたことによるものらしい。移民の増加数ではイラク人の方が著しく(おそらく長く続いた戦乱のせいであろう)、95年には2500人ぐらいだったのが、08年には2万2000人強になっている。
こうして眺めてみると、およそ10年前のノルウェーではイスラム系の移民といえばほとんどがパキスタン人であったため、その後実際に移住してきたのは戦乱を避けてやってきたイラク人であっても「パキスタン人」として認識されているということがうかがわれる。また、ポーランド系移民のほうが人数にしても増大率にしても多いにもかかわらず移民といえば「パキスタン人」になってしまうのは、外見や宗教がことなるためにその差が強く感じられて目立つからだろう。
イスラム系の移民はヨーロッパ全体で増加しており、排外主義的な言動がこの10年の間に何度も起きているのはご存知のとうり。でもその排外主義的な言動に対してどこか免疫というか慣れてしまっているヨーロッパのこのところの世情があるのではないかなあ、などと思っていたら、ちょうどそんなPankaj Mishraの論評を今週のThe Guardian Weeklyでみかけた。リンクする。The Guardianの方では2009年8月15日掲載、とのこと。

A culture of fear by Pankaj Mishra

パキスタン人」がノルウェー人にとっての他者を意味するようにいまだマイノリティでしかないはずの「モスレム」が排すべき脅威・他者の表象となっているヨーロッパの昨今の出版物への批判である。