ノルウェー

息子のデイケアが二週間ほど改築のため休みになる、とのことで二週間ぶっつづけで家にいるのもな、と思ってオスロの知人のところに行った。知人といっても実ははじめて会う人で、義理の妹が高校時代、一年ホームステイしていた先のホストマザーである。ホストマザー、ではあるのだが、生涯独身の弁護士。独身って、ホストマザーになれないんじゃなかったけ、とおもったりしたが、当時やり手でブイブイいわせていた彼女は、ラジオでホストマザーの募集を聞き、その足でベンツをAFSの建物に乗り付けてホストマザーになったのだそうである。その話をきいて、なるほどー、このなんとなく「ヤッピー」という言葉が似合いそうな雰囲気はそこからきているのか、と合点した。私が結果として彼女が死んでいく過程を書いていくことになった英語のニューズレターの200ぐらいのメールあて先のひとつで、何度も親身なメールを送ってくれたので、私は知り合いになった。
オスロ西郊外のフィヨルドのすぐちかくに住んでいるので、一週間ぐらい森を散歩しながらだらだらしたい、と思っていたのだが、一日に一度はどこかしらつれていかれた。おー、と一度だけ心底思ったのは、ムンク「叫び」の背景になっている景色が見えるオスロ東側の高台の道で、これはしかしたまたま息子が泣いたので車を止めてもらったらそんなレリーフがそこにあったという偶然だった。ムンク「叫び」をベルリンで描いた、というが、この景色を写真でもみながら描いたのだろうか、それとも脳裏にやきついている故郷を思い出しながら描いたのだろうか、などと思った。
観光がキライだ、といっても信じてくれない人というのは結構いるもので、いくらいっても遠慮しているとしかとられなかったのだと思う。私の興味というのは地元でとれる魚とか料理とか酒とかばかりなので、まー、つまんない人間だといえばそれまでだが、料理は結局かなり私がすることになってとても喜ばれた。
ノルウェーといえば漁業のさかんな国であるが、食べている魚の種類はそれほど多くなく、鮭、鱈、鯖、えびなど。Frederiksというとても優秀な魚屋が近くの町、Sandvikaにあったのでそこで馬鹿でかい新鮮なイカを買って1/3を刺身にしてのこりを焼きイカや茹でイカにして生姜醤油で食ったのだが、こんなもの初めて食べた、といっていた。イカリングでもっぱら食べる、とのことである。
これで私はフィンランドスウェーデンに続き北欧の三国を経験したことになるのだが、それぞれの国がとても違うのには実に驚かされる(あたりまえのことかもしれんが、やはり”北欧”と見てしまうのだ)。ノルウェーはイギリスの影響がとても強いのがみてとれて、どことなくアメリカ東部ににていた。芝生と家の配置とか、納屋のにおいとかそんな直感的なことで似ている、とか最初は思ったのだが、オスロの町のなかをぶらぶらしていても、建物はヨーロッパというよりイギリス的である。あらためて地図などながめてみると、確かに向かい側なのだ。
息子といえば、どこにいってもあまり変わらず(ドイツでもフランスでも日本でも一緒だ)、普通に遊べ遊べ、遊んでくれと両手を伸ばしながら要求するだけで、パンをもぐもぐと食べながらシアワセそうにしている。海はちょっと怖かったようで、波頭を見て泣いていた。潮風が強いのがいやだっただけかもしれない。
8月31日のオスロの新聞「Aftenposten」の一面はなんと日本の民主党圧勝の写真で飾られていた。ノルウェーでも一面か、とちょっと驚いた。

このことろ「この日本のいわば無血革命についてどうおもうか」といったことを聞かれるのだが、民主党がなにをするか、ホントにやるんですか、ということについてはともあれ、とりあえず日本の右傾フラクションがうまくまとまって見えやすくなった、というのは評価できるかもしれない、と答えたりしている。自民党で当選者を眺めると、森喜朗稲田朋美城内実などなど、いわゆる国士系の方々が目立つように思う。今後は自民党ー産経ー在特会ネット右翼という党派がくっきりとしてすこしはよい方向なのではないか。なんとなく右傾、<癒し>の右傾ではなく党派としてそこにexplicitあったほうが、その唾棄すべき主張内容はともかくも日本の原理主義ファンダメンタリズムといいたい)が明確化したということなのである。