沈黙と拒否

神経内科の友達の強力な勧めで大学病院のカウンセラーのところに時々いっている。あの有名なフロイトの長いすがあるわけではないのだが、川を見渡すことのできる気持ちのいい部屋で、すわり心地のいい椅子に座って一時間ほどおしゃべりをする。別れ、離別についての話をしていて、死別と失恋についてどう思うのか、と聴かれた。しばらく考えてから"Silence is better than rejection"。そう応えて、いってみてから自分のいったことがとても的にはまっているようでいろいろ頭がぐるぐると回り始めて黙り込んでしまった。拒否されるよりも沈黙のほうがいい。失恋のつらさは経験したものだったらわかるだろうけれども、そのつらさの極大は話しかけようとしてもそれが拒否されることである。否定されるという経験。でも死別は私が否定されたわけではない。体の一部がなくなったような気にはなるけれど、それは私の存在が否定されているわけではない。足でも手でも目でも耳でも、それがなくなっても私は私である。やっぱり"Silence is better than rejection"なのだと思う。

  • その沈黙にはどうやってあなたは対応しているのでしょうか。

彼女がなにをしようとしていたのか、考える、想像すること、推測すること、と私は答えた。死のうと思って死んだのではないけれど、遺志を想定することはできる。ほぼ確実なのは彼女は自分の子供をちゃんと育てたかった。だから私はその一番の遺志に沿う。

そう。彼女がなにをしようとしていたのか。そういえば、私は彼女を少しうらんでいます。遺されたCDを整理していたら、いろいろなクラッシックの音楽のCDが山のようにでてきて、一枚一枚きいているのだけれどもそれがとてもいい。なんで生きているときに彼女は私にそれらのCDを薦めなかったのだろうと思う。一緒にきけたのにな。そう思ったりします。私はさんざんいろいろなCDを彼女に薦めたのに。私とちがって謙虚な人だったから、自分の趣味を人に押し付けたりしたりしなかったのかもしれません。でも死ぬ前から黙っているなんて。死ぬなんておもってなかったというのもわかりますが。

  • 罪の意識はありますか。

ありません。でも後悔はしている。もし私が脳神経外科の医師だったら、きっともっと早く数時間まえに彼女のくも膜下出血の症状に気がつくことができた。でも私は脳神経外科の医師ではなかった。それは罪ではないと思う。でも後悔はしている。しかし私が脳神経外科の医師ではない、というのは彼女が病に臥すはるか以前の私の選択だったのであり、その選択が罪であったとは思えないのです。でも自分が医師だったらもうすこしなにかできたかもしれない。

  • フラッシュバックするネガティブなイメージはありますか。

頭にいろいろな電極が矢のようにささり、体に何本ものチューブが繋がれ、宇宙船のコックピットみたいにさまざまな計器に三方かこまれているところはときどき思い出します。訪れた友達の一人はそれを見ただけで気絶しました。私は見慣れていた、というかずっと最初からその経緯を毎日二ヶ月強ながめていたので、それが彼女であり自然なことだった。ネガティブではない。でもやっぱり異常事態だったと思う。

毎回帰り際に、「あなたにはちゃんと自分を分析しているみたいだし、サイコセラピーは必要ないようだけど、また来る?」と聴かれる。うーん。今だいじょうぶだけどあとでやばいかもしれないんで、と一応予約をとる。失恋ではない、たんなる沈黙ではあるけれども、だからたぶん誰かにその沈黙がいかなるものであるかについてときどき喋る必要があるのだと思う。

彼女の最後の旅行は2008年12月下旬、アルザスだった。4ヶ月後、そのころおなかに入っていた赤ん坊をつれてまたアルザスにいった。赤ん坊のはじめての旅行。アウトバーンで眠りこける赤ん坊に、そういえば道中彼女もずっと寝てたな、と思いだす。前回はとても寒かった。乳母車に赤ん坊を乗せてワイン畑を歩く今回は吹く風が心地よかった。赤ん坊も気持ちよさそうに寝ている。彼女が今この丘の上にたっていたら、いつもみたいにあの妙に落ち着いた雰囲気でこのやさしい風景を眺めるのだろうな、と思った。沈黙。そんな感じである。