難詰

セリア。なんでこんな50年代風のファッションなわけ。とわたしはいつも思うのだが、髪のまとめ方から靴の先まで50年代な雰囲気で統一しているので私は感服。アメリカの50年代の「LIFE」とかに出てくるヨーロッパ人のおしゃれなパリジャンヌ。現代パリのすかっと瀟洒な女子大生の服を粋にまとっているヴァージニアが、コーヒーを飲みながら、あの人ってすごく特殊、なんであんなに昔風の格好しているのかしら、とイヤミっぽく耳打ちしたりするのだが、私はセリアのファッションにシモーヌ・ヴェーユのパンクな生涯を想って、あー、だけどいいじゃん、あれだけ揃えるのってそれなりになんか意識しているはずだよ、とうわごと交じりに応える。セリアのあの格好のどこがいいのかしら。現代のパリジャンヌは50年代のパリジャンヌに負けずともおとらず女の闘いを隠さず、憚らず。
セリアはアルザスの出身である、ヴァージニアはパリの郊外出身。セリアのマジでペリフエリクな気分はパリのペリフェリク(小田急沿線多摩ニュータウン)ヴァージニアにはよくわからないんだろうな、と想いながら私はヴァージニに歴史を語る。あのさ、あのアルザスの人たちって第二次世界大戦の時には西部戦線に送られたんだよ、ドイツ人とはいっしょに戦争できないからってさ。で、ロシア人の捕虜になって散々苦労しているわけ。セリアが、自分のおじいさんがいかにロシアで捕虜になって苦しんだか、という話をしている。
隣にいたかつて東ドイツの解放のために命をかけてガチで戦った男がソ連に対する憎しみを語り始める。やつらがいちばんレイプしたのはポーランドだった。だからポーランドは今でも親米だ。セリアが同調する。そう、あのロ助たちが最悪、ナチ親衛隊なんてたいしたことない、ほんとの悪者はあのロシアの連中よ。なんでロシア。そりゃプーチンはあまりに格好いくて悪人っぽいけどさ。
糾弾大会の始まった場末の飲み屋でワタクシは、しかたがなくミラン・クンデラの話をぼそぼそ始める。あのさ、そんなこといっっているけど、そうやって糾弾したのがいけなかったんじゃないのかな。アメリカ人に爺さんを機銃掃射でころされたお前がなにをいう、というナチにじいさんの家を占拠されてすっかりぼろぼろになったはずのノルマンディ−のフランス人が私を難詰する*1

*1:ちなみにわたしのミュンヘン時代の教授はハーバードおよびカルテク出身のザ・アメリカ人、アングロサクソンなおじいさんである。大学の庭で茶飲み話をしているときに、第二次世界大戦のときに、うちのおじいさんは自転車で通勤している途中、グラマンの機銃掃射で木っ端微塵になって骨もないんです、という話をしたら絶句してしばらく後に、すまない、といっていた。そんなつもりじゃなかったんだけど。わたしはあわわ、と思ってしまった。私が13歳の時、韓国人の大使館員の家に遊びにいったら、軒先でおばあちゃんがばかでかいつぼに入ったキムチを肘までキムチだらけになりながら混ぜていた。毎日やんないとだめなんだよ、これ、と韓国語でいっている(と私は漬物の所作から理解した)おばあちゃんをうわー、すげー迫力、とながめていたら、「わたしにほんが好きです」といきなり日本語で話し始めた。「のほんってほんとうにいいくに」といって「さくら、さくら」と歌い始めて、私は腰を抜かさんばかりに仰天しながら、あ、これって日本が占領していたときの話なのかな、とおもった。どうにも複雑な気分になってしまって、歌がおわるやいなや私は韓国人の友達のところにすっとんで帰ったのだった。- いや、だからビートルズを歌う日本人にえ、という顔をするイギリス人の気分はなんとなくわかるし、あたりまえの顔をしている人をみるといまだになんともおもわないのかな、と一瞬思ってしまう。