ブスとあたまのよいひと

世の中にはブスと美人がいる。で、あちらこちらに存在する美人の姿かたちはどの人も似通っている。比較するとブスの多様性はとても広い。実は顔にかぎれば美人といわれる人が似通っている理由には科学的な根拠がある。人は、すべての人間の顔を平均した造作に近い人を美人である、と判断するのである(これネイチャーの表紙にもなったけど、めんどくさいんで検索はしない)。したがって、美人と一般に判断される人の顔はどことなく似たような感じになる。化粧とはしたがって、顔を平均値に近づけようとする作業、ともいえる。一方で、ブスは顔の造作が平均値から離れているからブスであると判断される。離れ方の在りようはさまざまであるから、ブスの顔が多様である理由もうまく説明される。
さて、まったく関係ないようだが、頭のよい人、悪い人、について私の思うこと。頭の悪い人というのはどうも似通っている。一方で、あたまのよい人は実に千差万別、驚くべき多様性である。このあたりからさらに考えをすすめる。頭がよい、悪いという判断は実は上下軸の問題ではないのではないかと私は考える。というのも、頭のよさわるさを判断する基準のスケールがどうにも設定できないからである。したがってここでひとつの仮説をば開陳させていただく。頭の悪い人というのは、平均的な頭脳活動により近い人間であるから頭がわるい、と判断される。一方で、あたまのよい人は平均的な頭脳活動からずれている。ずれる方向はさまざまに可能だから、頭のよい人のあり方は千差万別、ということになる。
以上をまとめると、頭の悪い人間は美人とよくにており、平均値に近いことが頭の悪いゆえんである。逆に頭がよいことはブスという存在によく似ており、頭脳活動が平均値から離れていることによって、そのような存在になるのである、のではないか。もちろんこれは、美人にはバカが多いとか頭がよい人はブスであるとかいっているのではない。激昂するひとがいるとこまるので、そのあたり一応念を押しておく。
なお、こんなことを書いたのはBrittyさん経由で「はてなも超人の割合が減ってきたなぁ」なる記事をみかけて、”相変わらずはてなで情報発信しても同じレイヤの人間が少ないから困る”なる釣りとも称される困惑を表明している方をみかけたからである。さっそく釣られた。というか釣りではないウェブ上のテキストなんてそもそも存在するのか。
閑話休題、「はてなも超人の割合が減ってきた」。はてなどころではない。たぶん世界をみまわしても、あたまがきわめてよいアナタと"同じレイヤの人間"はおそらくいないことは上に説明した内容から察することは可能であろう。きわめてあたまがよい、ということは平均値からかけはなれてしまっているので孤独であることはいわばその存在条件なのである。あきらめなさい。さもなくば平均値へと突き進め。化粧*1ぐらいは可能である。

*1:本当はハヤカワSF文庫ばりに”レイヤ”というルビをふりたかったのだが、そんなhtmlタグってないですよね。