フィンランドのナショナル・ヒーロー

フィンランドの文化ナショナルヒーローといえば、作曲家のシベリウスに建築家のアールト。
トゥルクにはシベリウス博物館というシベリウスの業績・写真・関連報道などを集積した博物館がある。行く予定はなかったのだが、私とアメリカ人を呼んでくれた教授がわざわざ閉館後の博物館を借りてくれて、その教授の娘のピアノの演奏を聴いた後にぶらぶらとシベリウスの写真を眺めたり、壁にかかったヘッドフォンで曲を試聴したり。印象に残ったのはやたらと葉巻を吸う人だったのだな、ということ。新聞に掲載される戯画のシベリウスの口にはかならず葉巻がぶら下がっていて、もうもうと煙をたてている。
アールトがデザインした建物は、全部で6つほど、金曜日の午後に集中講義・実習が終わってから日曜の午後飛行機にのるまでの間に巡ってみた。泊まっていたホテルの部屋の目の前が、トゥルン・サノマト新聞社だったのだが(したがってこれは巡った、とはいいがたい)さえない雰囲気のビルなので教授にあれアールトだよ、といわれるまで気がつかなかった。(写真はこちらとか
アールトを有名にした建築、パイミョーのサナトリウムは、トゥルクの中心部から森と農地が広がる田舎を眺めつつ延々と公共バスに乗って30分。直通バスも日になんどかあるのだが、見事にそれは逃してしまったので一番近い街からタクシーに乗り、森の中のサナトリウムに到着。これまたぱっと見たところなんてことないのだが、1930年という時代を考えると少々信じがたいぐらいモダンである。当時は実に最先端だったのだろうなと思い、同時に私のイメージするトーマス・マンの「魔の山」病院にとても近いな、と思った。やわらかいカーブで縁取られた階段を上りながら結核患者のことなどを考えているうちに最上階にたどりつき、そこから屋上にはでられず、あーあ、と思って倉庫状態になっているそのあたりを眺めるともなく眺めたら、内側が分厚い毛皮で覆われた焦げ茶の重厚な寝袋のようなものが蓑虫が殻を脱ぎ捨てたような感じで寝椅子の上に無造作においてある。なんだろうな、と思っていたのだが、あとでサナトリウムのウェブページをながめたらこんな写真があった。入院している患者が寒いときにも日光浴できるように配慮されたバルコニーがあり、そこに寝椅子がずらっとならんで患者が日光浴している写真なのだが、患者がくるまっているのはどうもあの蓑虫抜け殻である。もしかして、この蓑虫までもアールトはデザインしたのだろうか、と建物のみならず家具調度品といった隅から隅までデザインしがちなこの建築家のことを考えてみたのだが、調べようがないのでわからない。すれちがう医者や看護婦は、ああ、見学の人ね、という感じでにこっと挨拶してくれる。レセプションで買った解説には、アールト自身による建物に関する記述がある。完結にして無味乾燥、どちらかというと数式のような記述である。かくかくしかじかの機能を持たせなおかつ日光の方向を考えたらこのような配置にかくがくしかじかは来るべきであり、これに基づけばかくかくしかじかの機能はこの方向に設置されるべきことが自動的に導かれる、というような説明である。これをしてフィンランド人は「機能主義」と呼ぶのだが、アジア的に言えば風水だろう。はたして日本でも同じく機能主義、と呼ぶのかどうか私はしらない。一方でこのサナトリウムはアールトが新古典主義からモダニズムへと転換したマイルストーンとなる作品であることが知られる。なれば、蓑虫もまた”自動的に導かれた”に違いない、と私は考える。
週末をすごしたヘルシンキでは、アカデミック書店、アールトの自邸、フィンランディア・ホールにいってみた。アカデミック書店では大胆な天窓を持つ建物そのものよりも本の内容の豊かさに圧倒された。フィンランド人はやたらと本を読む人たちなのだな、と思った。私はニョロニョロの姿の懐かしさに思わずムーミンの絵本を購入。なお、フィンランド語でニョロニョロは「ハッティ・バッティ」というそうである。バッティはワットのことで、電気を食べるから、とのフィンランド人による説明。日本語ではニョロニョロなんだ、といったら、へー、神経(ニューロン)みたいだね、と感想を述べていた。
アールトの自邸はこういっちゃなんだが愛らしさ爆発。日本人の家といってもおかしくないぐらいの広さの家だが、実際日本文化の影響は相当なものだったらしく、リビングの窓際は日本家屋のような雰囲気だった。愛らしさ爆発、と思ったのはそれがなんとなく懐かしくなってしまったからかもしれない。この優しい雰囲気は、多くの日本人が惹かれる所以なのだろう。私はモーツアルトの音楽を思い出す。自邸から街に戻る途中にある市電の駅で途中下車して眺めたフィンランディアホール。日曜なのでホールには入れず、フォイヤーをうろうろ。ぶら下がっている電灯のかさが美しいので、ああ、すごい、と思った。
トゥルクではまた、アールトが新古典主義だった時代の建物に赴き、そこの一階にある「アル・バー」で飲んだ。なぜかそこにあった日本のウィスキー「余市」10年ものをイギリス人だというのバーテンに注いでもらい、これまた美しい電灯を眺めながら飲んだ。きいてみたら、この電灯はべつにアールトとは関係ないとのこと、かつてヘルシンキの郊外にあった大きなスーパーの天井にぶら下がっていた電灯なのだそうである。バーの経営者が気に入って、スーパーが解体するときの放出品として購入したのだとか。長いシリンダー状の筒の内側に真鍮の曲線の反射面があり、そのまた奥に電球がある。やわらかく複雑な光だ。なんでこの国の人たちはこんなに電灯をデザインするのがうまいのかな、と思っているところに、バーテンが喋りかけてきた。これ全部飲むつもりか、日本で飲んだほうが安いだろうとおどけながら、空になった私のショットグラスをバーテンは覗き込み、余市のボトルをポチャッと振った。