[log] 建築家の決断

朝の11時にドアのベルがなり、ドアをあけるとジム・ジャームッシュ似のわが家主である建築家が、やあ、と手を挙げながら家に入ってきた。私が彼から借りているアパートには本当の家主がいるので、これまで私はこのジャームッシュ氏からアパートを又借りしていたのである。2005年の秋から私はこの家に住み始めた。

優柔不断なる建築家 id:kmiura:20051024#p1

3時半まであそんでて今日はもうボロボロ、といいながらかつては自分の家だったキッチンの椅子に座り込んだジャームッシュ氏に、まずはお茶だねなどといいつつ私は緑茶をいれた。で、どうなったわけ?とジャームッシュ氏に聞くと、あたらしい家をみつけた、という。彼女ともうすこし広い家に引越し、ひきつづきふたりで暮らすことにしたのだそうだ。ああ、そりゃよかったね、おめでとう、と私は答える。最初にここにきたときはまだ建築の学生でさ、とジャームッシュ氏は語り始めた。
この建物が建ったのは1870年のことで、当初は漁師が住んでいた。昔のことだけど建築申請書の記録をみるとわかるんだ。ほら、川がすぐちかくだろ、この家から毎日漁にいっていたんだろうな。そのころはまだ一階建てで、この階はたぶん屋根裏だった。
二階建てになったのは1904年。住んでいた人の職業はわからないけれど、下が店舗になったのはそのときなんだ。この階はベル・エタージュっていって、家主が住む階になった。しらないかもしれないけれど、この階の天井は高めにつくってあって、まあ、だからベル・エタージュ。で、この階と下の階、あと上の屋根裏部屋しかなかった。屋根裏部屋には職人さんとかがそのころは住む習慣だった。
戦中の被害ものがれ、アパートはずっとそのままだった。僕が住み始めたのは2000年。ひどいアパートでね、この部屋はオレンジの壁に胸の高さぐらいまで波の絵がへたくそに書いてあった。そっちの部屋なんてこぎたない緑だったし、寝室なんて、真っ赤だったんだぜ。暖房は古いタイプのシステムで、30分に一回爆発してものすごい音を立てる。そうすると黒い粉が吹き上がって、年中ふき取るんだけど床はすぐにまっくろだった。
ここに住み始めたのは、家主が知り合いの建築事務所の人だったんで、紹介してもらったからなんだ。2002年にその事務所でこのアパートを改装することになって、住んでいる僕がまかされた。まだほとんど学生だったし大変だったよ。設計を終え、工事がはじまったんでいざ休暇、と思って、彼女が留学していたオーストラリアに2ヶ月いった。で、かえってきたら、大変なことになってたんだ。なにしろ、この扉、これ1920年代のもので、とてもいいんだけど、はずしてしまって、廃棄することになってたんだ。かわりにはめられてたのはひどい1970年代ののっぺらぼうな扉。あわてて地下室にいって、各部屋の扉を集めてね。専門の大工さんをさがしてやりなおしてもらった。この窓とかも床から天井までガラスになるようにしたりとか。はじめてだったからいろいろ苦労した。この家のことならほんとに隅から隅まで知ってる。
・・・ということは、一年ちょっとまえ、彼女とずっと住むかどうかわからない、とジャームッシュ氏はいっていたのだが、それだけではないのだろうな、と私は思った。いろいろ建築家かけだしのころの思い出のある家なのだ。そこから完全に手を切ってしまうことがどうにもうまくできなかったのだろう。彼女であれ家であれ、まあ優柔不断なのである。そんなわけで一年半、ずるずると私に家を又貸ししていたのだ。
とはいえ、ジャームッシュ氏はついに決断した。今月から、私は家主と直接契約する。いろいろ書類のことをおえたあと、しゃべることがなくなった。夏になったらいちどうちに呼ぶよ、和食はうまいぜ、と私はジャームッシュ氏にいった。おお、そりゃいいな、と答えるジャームッシュ氏はやはりちょっとだけ、さびしそうだった。