科学の敵

科学は思想運動でありイデオロギーである。科学的な論理という基底からすべてを批判の対象とする。その論理にさえ従えば、たった一人の人間が全世界を批判することさえも、科学的営為となる。しかしながら日本において科学者が批判してはいけないものが法律で定められることになった。とくに大学に所属する科学者はそうだ。”教育の場でもある大学においてその職員が国家を批判するのは新教育基本法にそぐわぬ”うんぬん。郷土を愛さぬ科学者には資格がありませんうんぬん。カッコつきの科学、あるいは似非か。”科学技術立国”という造語に感じていた違和感がなにやらはっきりしたような気がする。
まあ、だけど科学者はずっと戦ってきたんだよな。日本の国家主義の時代にもしぶとく科学者は生き残った。私の知るとある科学者は(すでに故人である)まさにそんな人だった。戦火が拡大するなかドイツから米国、日本と撤退しながらも飄々と最悪な設備のもと手作りで装置を組み立て歴史に残るような実験をした。救いがあるとすれば、そんな風な人達がいたこと、だからこれからもと思うことができることだし、救いがないとすればまたまた科学に余計な敵が登場したということなのだ。シノギっつーのはなあ、と知り合いの和食の職人が私に諭したのを思い出す。シノギっつーのはなあ、凌ぐことなんやで。