スシ憲兵を巡って

ちょっとまえに、日本の農水省が和食レストラン認証制度を導入し、世界各国の和食屋を覆面テストするというような記事についてコメントした(id:kmiura:20061102#p2)。和食とは思えない料理が世界に跋扈しているので(うちの近所半径1キロ内に寿司屋が三軒あるが、いずれも無残である)、まあ、「我こそが和食」と思っている日本人経営の和食屋には実にあるがたい話である一方、食という文化の流動性と発展性を阻害することにはなりやしないか、というようなことで、少々批判もした。同時に、ホンモノの和食の職人であれば、そのような国主導の認可をものともしないはずである。なにしろテクが素人とは段違いなのだから。問題は、海外に移住したけどほかにできることがなくて、というような和食の調理人だろう。日本であれば即つぶれるような店舗であっても、海外ならば日本人ということで場所さえ選べばあとは体力のみで営業は可能だ。彼らは日本語を駆使して政府のお墨付きをいただくことにことのほか熱心になることは間違いない。
私の立場を最初に言っておくと、本当にうまい飯であれば、なんらかの形で生き残るだろう、ということだ。場所はどこでも関係ない。同時にまずい飯もそれなりに生きる。「認可」などがなんらかの保護になるなんて幻想だ。単にコストとメリットの話でしかない。それは日本国内でだって同じことだろう。
その後農水省のサイトに海外日本食レストラン認証についてなるページがすでに設置されており、先月末に第一回の有識者会議がなされたそうである。その会議で、"認証制度"として、三つの有名なガイドが挙げられている。ミシェラン、ゴー・ミーヨー、ザガト・サーベイ。前者二つは、ヨーロッパ中心で、とくにミシェランはフランス料理に傾いている。ザガトはアンケート方式。和食に限った評価が存在しないので、そうしたガイドが毎年あるのは便利かもしれない。私が即感じる問題は上の三冊はいずれも国とは関係がないところで始まったということである。”制度”ではないではないか。少なくとも国主導ではない。しかも、覆面審査員って、どうやらJETROの駐在さんたちである。世界各国のおきにいりの和食屋に焼酎をキープしてなおかつJETROということで割り引いてもらって悦に行っているオヤジたちという印象が私はぬぐえぬ。いや、それが和食文化といえばそうなのかもしれないが、かれらの味覚を信頼してミシェランのむこうを張るような評価を生み出すことを期待し和食の存亡をかけてよいものかどうか(笑)はなはだ疑問である。前回私が「和食屋認定利権」を問題にしたのもわかっていただけるかもしれない。
こうしたガイドとはまた別に、すでに存在している国による認証制度の例が、イタリアとタイの実施状況を合わせて報告されている。タイに関しては認定店舗数が2006年5月現在、全世界で572店舗。日本では31店舗あるそうだ。また、イタリアに関しては、そうだよなあ、海苔かけてもピザだもんなあ、イタリア人も不安になるよなあ、などと思ったが、ちょっと詳しい話をみてみたら全世界に5万5千件あるとされるイタリア料理屋のうち、ベルギーで36店舗、ルクセンブルクで6店舗だそうである。これは、この制度が始まったのが2003年ということもあるのだろうけれど、なにかローカルな特殊事情がありそうである。判断基準として、特に原材料に関する明記が目に付く。3番目の例として、フランスにおける日本食レストラン価値向上委員会の例が挙げられている。これはあくまでも推奨、とのことで、認可ではない。でもやっぱりJETROが関連しているらしい。うーん。パリでよっぽどおいしい目にあったわけね。
・・・というような状況なわけだが、これに対する批判の火の手はすでに海外から挙がっている。和食はすでに不可逆的なまでにスプレッドしており、各地で独自の発達を遂げている部分は無視できないからだ。彼らを一方的に「非和食」と切り捨てるのははたして正当なことなのか。いや、正当かどうかというよりも、そうしたシステムの導入がどのように日本の外では受け取られるか、ということもポイントである。例えば次の記事は「スシ・ポリスの登場」として、農水省のプロジェクトをやんわり揶揄する。
Japan to dispatch 'sushi police'
ロスアンジェルスタイムズの記事はこれよりもさらに詳しい。特にコリア系のアメリカ人が経営する和食屋の困惑やコメントを紹介している。例えば「和食はだれのものか」と問う次のような例だ。

Ha's 27-year-old son and sushi chef, Jason, is more direct. "They're jealous because we own so many of the sushi restaurants now. For every five sushi restaurants owned by Koreans, there's one owned by a Japanese. They're trying to say, 'Japanese food is ours.'

一方で、日本の認可委員会側の発言として、こうしたコリア系の店を直接非難する内容のものが紹介されている。「寿司屋に焼肉があるとはけしからん」という発言だ。

In theory, a restaurant owner or chef won't have to be Japanese to receive the government's blessing. But in published comments, Matsuoka complained about finding Korean barbecued ribs on the menu of a sushi restaurant in Colorado.

もちろんこの記事は、和食を巡る内容に他ならないが、コリアと日本のほかの面での確執が文脈として読まれることを想定した構成になっている。コリア系アメリカ人はあくまでもアメリカ人であるのだけれどもそうなのであり、また同時に歴史的な背景も踏まえた文脈でるとしてよいだろう。朝鮮半島が日本の植民地化にあったのは常識であり、また朝鮮半島の人々がそのことをうらんでいるというのもまた常識だからだ。
一方で、ワシントンポストの東京特派員はより踏み込んだ内容で、これは国家主義が復活しつつある最近の日本の政策の一つだとする見方を紹介している。

Some observers here have suggested that the government's new push for food purity overseas is yet another expression of resurgent Japanese nationalism.
"Japan to evaluate restaurants worldwide for authenticity"
By Anthony Faiola THE WASHINGTON POST

こうした批評をした"observers here"は複数の日本人だろうな、と思うのだが(なお日本の新聞社もこのワシントンポストの記事を紹介している)より問題だと私が思ったのは同じ記事の中の松岡農水相の発言を紹介した次の部分である。

" he continued. "What we are seeing now are restaurants that pretend to offer Japanese cooking but are really Korean, Chinese or Filipino. We must protect our food culture."

上記のコリアンアメリカン糾弾にひきつづいて読めば”お、大臣が人種差別発言か”とだれでもが思うだろう。国内向けだったらかまわんのかもしれないが、こうして英語の記事で読むと私なぞは出たな、と思う。わかりやすくするためにことばを入れ替えて例をあげよう。「科学は欧米の文化である。日本人をはじめアジア人の科学は科学もどきだ。我々は科学文明を守る必要があるのである」としたらどうだろうか。行為の主体と内容が混同された典型的な人種差別と思われてもしかたがない。そしてその先に国家主義うんぬん、という展開になってもこれまたディフェンドしにくい状況になるのである。というか、やっぱりそうなのか、と私は思うだけなのだが。

・・・とここまで書いて、実はこれはqt_fbさんのトラバ、id:qt_fb:20061208の記事に対する返答のつもりで書き始めました。海外が今の日本の政治をどう見るか、というようなことで書くつもりだったのですが、長くなってしまいしかも時間がないのでひとまず筆を置きます。[追記]これって結構な話題に日本でもこのところなってたんだなあ(産経の記事およびそのブックマーク)。遅い。