ボローニャ

地図を読めない人たちと車で旅行するのはかなりイライラする。私が全行程運転していたのだが、ボローニャに乗り込んだときには本当に参った。あっちにいけ、こっちにいけ、と指示するのだが、あれ、ここどこだよ、などと30秒後に行って、またUターン、である。ちゃんと地図見てくれ、と私は何度か注意するのだが、見ていない。こっちが北だから右に行け、とかそんな感じである。しかたがないので、信号で停止しているときに窓を開けて、べスパのにいちゃんに、なんたら通りはどっちだ、と聞いた。それにしたがて運転するとまた文句をいうのである。オレのことを信じないのか。そうきますかダンナ、とこちらも怒り心頭であるが、黙ってホテルまで連れて行く、と有無をいわざずどうにかホテルに到着した。
ボローニャは中世には尖塔が何百もそびえる街だったそうだ。今で言えば、ニューヨーク。当時の写真などあるはずもないが、想像図や、再構成した模型がある。こんな感じ。
http://www.bolognatourguide.com/foto/torri_torresotti.jpg
行きの飛行機でたまたま同じ便に乗っていた知人のボローニャ出身の天文学の院生に、オススメレストランをいくつかきいていた。ホテルからは2ブロックほどの距離の一軒、via Marsalaの"Nicola's"に遅い昼飯を食べに行った。ただのピッツェリアなのだが、オススメにしたがって本当によかった。私はブルスケッタムール貝ボンゴレの酒蒸し、ルッコラとモルツォレッラのピザを食べたのだが、どれもうまい。とくに旨い貝類の酒蒸しを食べたのは久しぶりで、一気に幸せになってしまった。よし、観光だ、という二人と別れて私はクーラーの効いたホテルに帰って昼寝。夕方帰ってきた彼らとしばし散歩した後の夕飯は、ボロネーゼを食べることになっていたので、ボロネーゼ。日本でその昔スパゲティといえばこのミートソースしかなかった。通称スパゲッティ・ボロネーゼであるが、ボローニャではもちろんそんな風にはいわない。ラグー、などという外様にはわからない名前がついている。しかもスパゲッティではなく、タリアッテレで濃厚に絡めて塊のような状態で食べる。重すぎて私にはどうもうまいと思えなかった。二日目には再び"Nicola's"。ロブスターのリングィーネと、焼き野菜を食べた。どちらにも感動。
ボローニャは、フィレンツェに比較すると観光客が圧倒的に少ない。目立つのは、世界最古のボローニャ大学の学生。大学は円周状の町の北東部にかなりの面積をしめている。この地区では街とキャンパスは渾然一体になっている。大学のある空間では私はいつもどことなくうきうきしてしまう。エネルギーが満ちているような、明るいようなそんな感じ。最古の大学であっても、いつでも若いのだ。私は解剖学教室の博物館に行ってみた。講義にいそぐ学生たちの間を抜けて、解剖学部の建物に入り、受付のおばさんに案内されて小さな博物館に入った。気持ち悪いサンプルが大量にあったのはいうまでもないが、ゴルジ体を発見したカミロ・ゴルジの初版本が展示されているのをみつけて妙にうれしかった。マッドな科学者の典型みたいな人で、いくつもいくつも仮説を出し、ほとんどはずれてそのうち一つがあたってノーベル賞、なクラッシックな科学の時代の人である。
夜半過ぎまで市庁舎らしきたてものの回廊にあるバーに座って、ふたたび合流したフランス人とスコットランド人と飲んでいた。回廊の向こうの端は、ばかでかい教会のライトアップされた広場に向けて大きく開いている。私は回廊に座ってもう片方の端で飲んでいることになる。風が吹き抜けて気持ちがいい。広場の方をぼけっと眺めていると、人が横切ったり、こちらに向かって歩いてくる。ちょうどバックライトのモダンバレエの舞台を眺めるような感じになる。若いカップルがゆっくり横切ったり、男の子グループがざわざわと小突きあいながら広場から現れたり、きれいな女の子たちがこちらに向かってきたり、広場にきえていったりする。ああ、なんかいいなあ、と思う。