ファブリッコ

ボローニャから北50キロほどにあるど田舎の街で、メインストリートが一本、一番北側に教会が一つ、というおそるべきシンプルな構成。あのさ、この街ってなんか西部劇にでてくる中西部の街に似てない?トリノ出身の友達に言ってみたら、私も同じこと思っていた、というので、きっと誰がみてもそうなのである。街には二軒しかホテルがなくて、いずれも結婚式の参加者で満員だった。我々は夜遅くにレンタカーでたどりついたのだが、ピッツェリアに座って飲んでいるうちに、研究所の仲間がどんどん到着して、夜半過ぎには20人ほどの飲み会になっていた。合宿状態である。二日酔い。
結婚式は翌朝11時半から。そのまえに、イタリア髪型にすべくジェルを買おうと薬局にいったら、タバコ屋にいけ、といわれた。はて、と思いながら3軒隣のタバコ屋にいったら、タバコに並んで整髪用のジェルが売っている。カテゴリーが日本やドイツと違うわけやね。花嫁馬車で登場、の教会での式はスタンダードなカトリック式だった。隣に座っていた上記トリノ出身の友人は、「神父が”花嫁は神に仕えるごとく夫につくせ”っていった」と激怒しながら耳打ちした。彼女はそもそもそうしたことにとても敏感であり、さらに私は演説の内容(説教か)ぜんぜんわからなかったんで、なんていったらいいのかわからない。でも、法王がベネディクト16世になってから締め付けが厳しくなっている、というので、それもあるのかもしれない。ナポリ出身の女の子もあとで、なによあの神父、と怒っていた。女を怒らせるようではダメ神父である。

披露宴はそこから10キロほどのゴルフクラブで午後三時から延々5時間の食事だった。いわゆるイタリア式のフルコースである。話には聞いていたし、覚悟もしていたので、車は運転しないで行った。ランブルスコという弱発泡性のワインが名産なのだが、もっぱら私はシチリアワインを飲み続け。飯が終わったころにはテーブルの仲間一同べろんべろん。その合間に友人がつぎからつぎへといろいろ出し物をする。たいていは花婿花嫁になにか馬鹿げた芸をさせる、という内容である。花婿にピザをつくらせたり、とか。一方で私は花婿にじきじきの指名で「日本からやってきた有名な歌手」と紹介されて、彼と一緒に「上を向いて歩こう」を歌った。カラオケである。なにやら感激するイタリア人のおじさんおばさん続出で、握手攻めにあい、さらに花婿の父親には直々に招待を受けた。はたまた花嫁の父親の知り合いであるというヨレヨレの自称詩人だというおっさんに、彼の最新の詩集をサイン入りでいただいた。飯が終わってからはさらに本格的な飲み。マグナムボトル登場。朝2時ごろまで。街にもどってさらに飲んで、4時ごろ開店したパン屋でクロワッサンを食べてからホテルのベッドに倒れこんだ。なお、イタリアにおけるこの朝方のパン屋、というのは、日本で言うと朝まで飲んだ後でラーメン屋に行く、という行為に相当する。ドイツの場合は、カレーブルストを食べに行く。