ポルトガルの床屋、子供たち

ポルトガルの北部の都市ポルトから北に50キロほどのリゾートで学会があった。ポルトガルに行くのは初めてなので、前後に休みを取ってリスボンから南下、再び北上、学会へ、という行程で車旅行をした。若い同僚のミュールーズ出身のフランス人Cが、全行程運転してくれたので、私は隣に座ってあっちにいけ、こっちにいけ、といっているだけの楽な旅だった。よく考えたら、両親の運転で北米のあちらこちらに旅行した10代前半以来のことである。

ポルトガルのレストランは魚のメニューだらけである。しかも焼き魚がメイン。鰯や鯵を炭で焼いて食べる。10日間いた間ほぼ毎日むさぼり食っていたのだが、日本で言う大羽イワシが一番うまい。焼きイカを頼むと、con Tintoか、と聴いてくる。イカ墨はどうするか、ということなのだが、一度ためしに、じゃあ墨付きで、と注文したら大変なことになった。美味ではあるが皿が真っ黒、歯も真っ黒、である。ワタもそのまま丸焼きなので、実に生くさい。魚イーターを誇る日本人でも敬遠するかもなあ、と思った。のちにポルトガル人に聴いたら、そりゃ墨付きでしょう、とあたりまえの顔をしていた。

ポルトガルの風景は南は乾燥していてブラジルのセラドに良く似ており、中部は日本に似ている。北部になると地中海沿岸のような風景になる。中部が日本に似ている、と私が思ったのは、水田が低い山々の間にあったり、狭い耕作地にビニルハウスがほそぼそと建っていたりするからではないかと思う。また、無造作に建てられた家の様子もどこか似通っている。イタリアの村といえば造形的に緊張感があるな、と思うのだがポルトガルはあけっぴろげで乱雑だ。あるいはそんな風に思ったのは毎日イワシの焼き魚を食べていたせいかもしれない。

ポルトガルだったらなんとか話せる、とフランス人Cにいばって言っていたのだが、Cはあまり本気にしていなかった。自分でも本当のところ自信がなかったのだが、いざ赴いてみたらブラジルでの経験が蘇って旅行には支障をきたさない程度にまですぐ思い出した。なんとなくどこかに帰ったような気になってしまったのはそのせいもあるかもしれない。

特に印象に残ったことといえば、小さな漁村で床屋に行ったことと、ポルトで見かけた子供たちのことだ。前回日本で髪を切ってからすでに5ヶ月たつので乞食かレゲエか麻原彰晃である。学会で座長を頼まれていたこともあって、いくらなんでもすこし切らなきゃ、と床屋に入った。漁港の入り口にある床屋で、15平米ほどの正方形の空間に実にクラッシックで博物館に置きたくなるような理髪用の椅子が二脚置いてあるだけのなんとも殺風景な店だった。髪を切りにくるのは黒々と日に焼けた筋肉隆々の漁師で、私が髪を切ってもらっている間にもひとり、仁王立ちで腕を組んで首をかしげながら順番を待っていた。5センチ切ってくれ、と私は店のオヤジに言った。ホントに5センチでいいのか、オヤジはいった。明らかにもっときるべきだ、という口調だった。しかしながら私の経験では5センチといって5センチでおわったためしがない。大抵注文の二倍の長さ切られてしまうのが床屋の常である。したがって私は、5センチで、と再び繰り返した。しばしパチパチとはさみを鳴らし、切り終わったあとにオヤジは、確かに5センチだ、みろ、と床に散らばった髪をつまみ上げて私に見せた。確かに5センチぐらいだった。なかなか律儀な床屋である。

ポルトの古い町並みは中心を流れる川の急勾配の斜面に広がっている。狭い路地を伝っているとナポリの旧市街を歩いているような気分になる。川岸には観光客向けのレストランが軒を連ねていて、私はその一軒に入って昼飯を食べた。強い日差しを避けるおおぶりのパラソルの下で昼からワインを飲んでいい気分で川面を眺めていたら、子供たちがわーわーとはしゃぎながら走ってきて、そのまま走りすぎるのかとおもいきや、斜めにそれてそのまま次々と川に飛び込んでいった。あっけにとられていたら、ずぶぬれの子供たちが再び上陸してきてまた飛び込んでいる。結構な高さのある岸壁である。椅子を立って見に行ったら、川の中にはさらに大勢の子供たちが服のままうじゃうじゃと水浴びをしていた。幼稚園児ぐらいから小学4年生ぐらいまでだろうか。20人近くの子供たちが飛び込んでは川のなかをくるくると器用に泳いではまた岸壁によじ登り、再び飛び込んでいる。さらには数人で声を掛け合いながら一斉に飛び込んで、キャハハとけたたましく笑いながら水の中でおしくらまんじゅうをしている。その回りでキラキラと川面が光り子供たちの濡れた肌が光り、水滴が飛び跳ねる様はとてもワイルドだった。こいつら魚か、と私は独り言を言っていた。後の夕食の際、一緒にいたイタリア人のLに、あの子供たちには実に感動した、子供のなかの子供だ、といったら、Lはあの子達はストリートキッズよ、と断言していた。私はそうは思わなかった。私の子供のときも同じように子供で群れて遊んだし、ドブだかなんだかよくわからない川に入りこんで騒いだものだ。そう説明しながら、そういえばドイツではあんな風にワイルドに遊ぶ子供達を見かけない、ということに気がついたのだった。そうね、最近のこどもはあんな風に遊ばないかも、とLはいった。そこから彼女は子供のときの遊びの話をし始めたのだが、どうやら説明を聞いているうちに、それが日本で言うドロケイ(地域によってはケイドロかもしれない)だということに気がついた。何日も終わらなくて大変なのよね、ととても楽しそうに彼女は言っていた。最近の日本の子供、ドロケイしているのだろうか。

初めて行ったのに初めての気がしない。そんな国は初めてである。