背広は普段から着ていないと似合わない、と私は何度か人に言われたことがある。万事適当な仕事が商売の私もスーツを引っ張り出してきて着ることが年に数回あるのだが、そんなときに周りの人間に忠告されるのだ。これはなんとなくわかる。首が締め付けられているし、肩先が妙に盛り上がっている。動きにくいし、自分の体が自分のものでないような気さえしはじめる。なんとなく緊張してしまうから、似合っていない、というのも当然だろう。そもそも学生時代にも制服を着ていたことがあるのは一年に満たないので、スーツ系の服の経験があまりになさ過ぎるのである。
研究所にいる人間の服装は大抵ジーンズTシャツ、ないしはトレーナーである。あるいはワイシャツ。とはいえ、特殊な仕事をしている人たちは背広であることが多い。特殊な仕事というのは、特許関連の弁護士やアドミニストレータ-である。ラフな格好の人々の中にいる彼らは実に特殊な雰囲気で、そのことを彼らも結構気にしているらしく、人と会うアポがない稀なる日にはカジュアルな格好でやってくる。これがなぜか似合っていない。”カジュアル”という言葉を使いたくなるような堅苦しさなのだ。なぜなのだろう、と私は思う。背広に顔や体が適応したからなのだろうか。私の状況を逆転すると、ある程度の衣服の抵抗や拘束に体の動きが慣れきっていて、それが失われると途端にどこか不釣合いになってしまう、ということなのだろうか。