”劇場型性格”とブログの関西性

カノセさんのところの”劇場型性格”の短い解説を読んですぐさま思い出したのが、関西人についてである。ここでいう劇場型性格はブログ・ウェブ日記執筆者における「公開することを勘案・想定した、日常における些細な選択基準」とでもいえばいいのか。
例えば路上における不注意から電柱に顔面が衝突し、鼻血がでたとする。関東の人間の場合、心の中で少々焦りつつもクールを装い、なるべく気づかれぬようにハンカチないしティッシュを取り出して迅速な処理をめざす。周りに友人知人などがいたとしても、おそらくこうした対応は変わらないだろう。アホかおれ、とつぶやく、あるいは「ゴメン、鼻血、」とひとまず断る、といった発言と共に、鼻血という異常事態をなるべく通常の状態へ復帰させようと努力する。関西ではどうだろうか。鼻血が出たら、まず周りの友人に「鼻血や、はなぢやでー」とさかんに鼻を指差しつつアピールしウケをとろうとする。全員がそうするとはいわないが、大阪人がそうしようとする傾向は明らかである。異常事態が笑いのネタになる可能性をあくまでも追求する。身を呈したギャグと化すのである。
東京から大阪に引っ越してしばらくの間、私はこうした状態にいかにして対応したらよいのか、検討がつかなかった。後に呼吸を覚えたのだが、彼らは突っ込まれるのを待っている。アホかおれ、と鼻血の当事者が自分で突っ込むのではなく、あくまでも隣人のツッコミないし絶妙なタイミングのフォローがあることを当然のこととして、そこに笑いが生まれることをまず第一に考えているのである。これがもう一歩進むと、笑いが生まれることを想定した自己犠牲型の選択が生まれる。自己犠牲の報酬はツッコまれることの至福、笑いと共感の場を生成することの喜びにほかならない。
ひるがえって考えると、ブログ・ウェブ日記の地域性みたいなものはあるのだろうか。例えば、上でいうような”劇場型性格”のブログ・ウェブ日記は関西の方が多いのだろうか。どうも私にはそう思えない。ブログ・ウェブ日記がそもそもなんらかのウケを狙っている(日常を描きつつもウケは日常と非日常のギャップから生まれる)、という性格が地域性を解消させているのではないか。だとしたら、ブログ・ウェブ日記はそもそも関西タイプのメディアなのではないか。はてなが関西発なのもそんな理由が背景にあるのではないかと思ったりする。