ほぼ毎日空手の稽古をしているのだが、週三日は二時間ずつ教えてもらっている。うち二日、私を教えているのは本職がパン屋の同じ年齢のドイツ人である。私は彼を老師すなわち「ラオシー」と呼び、彼は私を「デシ」と呼んでいる。ラオシーの目下の悩みは彼女がいないことである。「女に関しては白帯じゃないけど緑帯ぐらいで困った困った」とよく言っている。親族の結婚式で、母親が「あの女の子なんかどうかしら」とかなり心配しているらしい。
それはともかく、先日空手の合宿の時、老師の雑談はほとんどがパン屋の話だった。昔気質のパン屋らしく、癇癪もちの親方がいて簡単な理由でどなりちらし、嵐が去るまでの間そのパン屋の職人4人はパン焼オーブンの前で首を縮めてやりすごすのだそうである。
おとといなんかさ、とある特別な種類のパンを焼くための金型に紙をしかなかったら30分近く怒鳴られてもういやになっちゃうよ、でも紙を敷かなかったのは時間がなくて、後で金型をちゃんと洗うつもりだったのに、親方はわかっちゃいねえ、といった調子である。
ドイツの職人の世界というと、上下関係が厳しい、といわれる。とはいえ、上のような理不尽な徒弟関係は今時めずらしく(おそらく日本でもそうだろう)、知る限り知り合いの靴職人のところがそんな感じだった。親方(ゲゼル、という)になるには厳しい職業訓練校と実務経験を10年近くつまないとなることができない。ゲゼルの称号の獲得は、研究者で言えば博士号をとるような世界である。いや、博士号よりも大変かもしれない。理不尽な怒りをやりすごすところは、大学院生と同じかもしれないけれど。親方の愚痴はいうものの、そのパン屋に対する愛情もなみなみならぬものであることも伺えた。職場っていうより家族みたいなものなんだ、と彼は言っていた。親方は我々をかならず守ってくれる、のだそうである。
ちなみに我がラオシーは、元高校教師である。いかなる理由で高校教師という誰もがうらやむ(なにしろ夏休みがとても長い、加えてポジションが安定している)職業を辞めてわざわざパン職人という朝2時に起きなければいけない、苦労を買うような仕事をはじめたのかその経緯はまだ聞いていない。
いろいろな親方の癇癪と理不尽さ、一方的な怒り、その対処法などについてひとしきりきいた合宿の間、ラオシーの寝袋の枕もとに転がっていた分厚い本のタイトルをたまたまちらっと見かけた。タイトルが「世界の独裁者・ヒットラースターリンポル・ポト」なる本だった。笑っちゃいけないよな、と思いながらもしばらくクスクスと笑いがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。