リフレクション・ループ百景

そんなわけで病気ではないのだが、小鳥の声など聞きつつゆるゆるになって

秘録 陸軍中野学校 (新潮文庫)

秘録 陸軍中野学校 (新潮文庫)

なんて本を読んでいた。中野学校の話はキャノン機関の話や、野坂昭如の小説”てろてろ”なんかで知っていた。おそるべき超人的技術をもつ諜報員を育成する学校、というイメージ。実態を記した本を読むのは私は初めてである。謎につつまれている、ということばかりきいていたが、同窓会なんかもあるらしい。ノンキャリアの優秀学生をえりすぐりで集めた中野学校の教育はかなりリベラルであったという点が印象的。天皇批判なんかも平気でしていたらしい。一方で卒業者の一人が太平洋戦争末期の吉田茂の書生になってスパイをしていた、という点とはなんか齟齬があるなあ、という感想。吉田茂疎開先、大磯の別宅にはお手伝いの女性が3人、書生がひとりいたのだが、お手伝いの女性の一人は憲兵隊のスパイ、もうひとりの女中と書生は陸軍のスパイというなんともご苦労なことになっていたらしい。
戦争末期、日本軍部のこの手の狂いぶりは、どこか「総括」の赤軍や、「ポア」のオウムに似ている。妄想が妄想を呼ぶ、というとうまく表現できていないのだが、この狂い方の自動性は昨夜読み始めた北田暁大「嗤う日本のナショナリズム」の冒頭部がとてもうまくまとまっているように思った*1。キーワードは”反省する身体”。
嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

自動性についていわく、「これは心理学ではなく社会学である」。北田さんいうところの準拠する枠がない状況での反省の自動性(書いているだけで絶望的)について掘り下げた文献とかあるのかなあ、としばし思う。社会の中で発動して作動がとまらなくなり、落としどころがない状況。また別の状況だが流浪しつづける主人公の実存として町田康がうまく描いていたりする(収束しないループにしょうがないので最後に佐渡おけさを踊り始めたりする)。町田康の主人公は反省スリップ、としたほうがいいかもしれない。個とその個にとって得体のしれない社会との間の思惑のラグが生む自動的な反省ループとして描かれるから。一人でやっているならある種の喜劇ないしは”勝手にしろ”だが、社会が行うと悲劇になる。

*1:この本の読書ノートが、たまたま別件で昨日トラックバックしてくれたid:naozaneさんのところにあります(id:naozane:20050410)。