オニババ本をめぐる先日のid:hizzzさんのコメント

老齢化社会で既存のものでおっつかない新たなアイデンティティが必要とされる時、そこにブラックボックスのように広がっていた子宮なるものを、生物現象=生理作用の象徴として発見したということはないでしようかね。中世〜近代〜現代にわたる身体史観ってもんをさらう必要があるかなぁ。

にひきつづき、hizzzさんが身体史観を展開して詳しく書いているので、リンク。
id:hizzz:20050115 依り代さがし
老いへの対処、身体コントロールフェチ、という視点から撫で斬り。次の部分、おー確かに、と思った。

オニババ本は一見、性ライフを強調して快楽を勧めているようでいて、経血コントロールに見るような何時までも老いない身体=身体矯正シバキ主義に陥ってる

私が思うのは、もはやコントロールされていない人間の身体など存在しないということ。これはあらゆる意味でそうだと思う。身体の解放、などというのは畢竟エコロジー原理主義者と同じでスローガンはサルに還れ、ということになる。だとしたらシバキかたの問題ではないか。