発見秘話

仕事とはほとんど関係がないのだが、とある事情で細胞内小器官発見の歴史についてちょっと調べていて結構おもしろかった。ゴルジ体とか小胞体の発見の話。このあたりの昔話はいままで知らなかったのだがノーベル賞のサイトが充実している。ゴルジ体を発見したのはイタリア人のゴルジさん。時は19世紀末、電子顕微鏡が発達する前のことで、光学顕微鏡で記載している。今でこそ位相差顕微鏡が発達したのでゴルジの存在を染色なしでも、ここかなあ、とおよそ見て取ることができるのだが、細胞内小胞構造の発見としては出色である。このヒゲおやじは実にいろいろな奇説を発表する人だったらしく、ゴルジ体の発見にしても、神経系は細胞ではない、という自説をサポートする証拠をみつける過程での発見だったということである。こうした奇説科学者の話を読むと、キテレツな仮説でも100うちゃなんか、いいことあるかもしれん、という気分になってくる。そんなことを思いつつ昨今の状況を鑑みるに、こうした奇説連発おじさんがいないなあ、と少々寂しくなる。
DNA二重螺旋を発見したクリックは奇人で有名をはせていたが、それでも晩年に彼が発表した「驚くべき仮説」なる大胆なタイトルの本は、まったく驚くべき内容ではなく、あっそー、あたりまえじゃん、という愚説でさえあった(”驚くべき”とあえてつけざるを得なかったかどうか、ということは、実に別の政治的な話だと思う)。最近の人でいえばティム・ミッチソンの変人ぶりがよく業界の話題になるけれど、単なるウォーカホリックで、院生が家に帰ろうとすると怒る、とかそんなくだらない話でしかない。度肝を抜くような服で学会に現れる、とか、ホンモノの奇人というよりもアメリカ的な韜晦のような気がしてしまう。また別の人だが、「サーフィンをしたあと彼女と海岸で寝ているときに思いついた」というPCRの発見にしても、なんか「マジメじゃないです」っていう露悪的身振りのような気がしてならない。奇人の匂いが少々するのはやっぱり”散逸構造”のプリゴジンかなあ。ウォーラーステインと仕事をしてしまうあたりにヨーロッパの奇人科学者の系譜を感じたりする。奇人の条件は、本人がすごくマジメだということ。ここがミソ。
学問そのものとしておもしろいなあ、と思った発見秘話は小胞体とライソソームの発見。いずれも電子顕微鏡が発達した1940年代から50年代にかけてのはなし。発見したのは両方ともベルギー人。小胞体を発見したのは、アルバート・クローデという人で、この人の生涯はほぼ、電子顕微鏡で見える構造がアーティファクトでないかどうか、ということをチェックすることに捧げられている。電子顕微鏡で細胞を見るには化学処理を施して蛋白質を架橋し、固定した構造をみることになるのだが、もっぱらの論争はこうした化学処理で見えるのは本当の細胞のそもそもの構造なのか、という点で盛り上がるのである。かくしてマジメなベルギー人クローデさんの人生は、ひたすら電子顕微鏡下の構造と、光学顕微鏡で染色細胞の構造を比較することに捧げられるわけだが、ここで漁夫の利というかとても頭のいい発見をしたのがその友人で横から地道な苦労を眺めていた生化学者だったベルギー人のクリスチャン・デ・デュベさん。細胞を処理する段階で破砕すると破砕した細胞のスープが酸性になってしまう、という点に目をつけて、細胞内に酸性の小胞が存在し、破砕すると全体が酸性になってしまうのではないか、という実に先進的な直観をもって、細胞を密度勾配の遠心にかけて分画し、じつに手並み鮮やかに酸性の小胞を単離してしまったのである。かくしてその小胞はさまざまな蛋白質が消化されるライソソームとして命名されるわけだが、発見の見事さという点で居合抜きのように見事である。受賞講演も、学部の学生に読ませたらいいんじゃないかなあ、というような実験の話。
ゴルジ体だの小胞体だの、というと高校生のころそんな用語を覚えたなあ、などと目を細めたり、無理やり暗記したことを思い出していやーな気分になる人がほとんどではないかと思う。事実、私は高校の生物が暗記科目にほかならない世界だったので大嫌いだった。日常的に「ゴルジ体がさあ」などと喋っているのは一部の生物学者のみだろうから、こんな話は遠い世界かもしれないけれど、日本語でまとめて書いてあるところもないようなので、どこかで参考になるかもしれない。