ブログ・ブログド・ブロギング

上で触れたブログ本の紹介を見直したら、もうすこし事情は複雑に書かれていたので、追記として。本の題名は"We the Media: grassroots Journalism By the people, For the People"。著者はDan Guillmorで、シリコンバレーの有名な記者。本自体が草稿の段階から読者とのやりとり(すなわちコメントですな)を通して書かれた。ハード本として出版されているものの、本はネットで公開され、本文の使用はクリエイティブ・コモンズに準じて非営利用途には自由。書評は2004年11月6日付の週末版ガーディアン・レビューに掲載されていた。筆者はガーディアンのデジタル出版部門の部長、Simon Waldmanで、タイトルは"All the news that's fit to blog"。批評というよりもほとんど手放しの絶賛。
肝心の内容だが、ギルモアさんはジャーナリストとして読者の有意義な批判を受け止めながら本を書くという幸福な経験を経て、これこそがあらたなジャーナリズムの形態だ、と実感する。生産者と消費者すなわち書き手と読者の境界が薄れていくあらたな経験(このあたりはすでにessaさんがブログ自身のツッコミビリティという造語によって一発で表現しているが)。インターネットの草創期にすでに、こうしたことが起きるのは予測されていたが、実際の経験としてこの本が存在する(日本で言えば”電車男”の快挙だろうか。ちなみに怠惰な私はまだ読んでいない)。しかしながら、ギルモアさんは、こうした幸福は長くは続かないだろう、ともいう。歴史的に繰り返されてきたことだが、メジャーなメディア自身が政治権力と結託してこのあたらしいジャーナリズムの形態を抑えにかかるだろう、というのだ。

"If today's Big Media is a danasaur" he writes, "it won't die off quietly. It will, with the government's help, try to control new media, rather than see its buisiness models eroded by it "

米国では特に著作権を振りかざして押さえ込もうとしている、とのことである(昨今のはてなにおける住所登録問題の勃発もなにやら関連してくる)。書評自体の結論はずいぶんと貧困で、でも新しいメディアである、未来はオープンだ、米国とは違って英国ジャーナリズムの政治批判はいまだに健在だ、でも新しいメディアに意識的な人はこれを読め、てな少々分裂気味の我田引水なバンザイ結論(なにしろガーディアンのデジメディ部長だもんな)に至っている。
これを読んで私が思いあたったのは、日本の大メディアが、すでにその存在を無視できなくなっているはずなのにブログなるものの存在をまるでないかのように振舞っている、という点である。*1現実を直視しないで”かのごとく”振る舞い、内容のない言葉をのらりくらりと振り回すコイズミをこれまた私は連想してしまう。”客観報道”という言葉と”人生いろいろ”がなにやら対応しているように思えてしまうのは私だけだろうか。ともかくも、実に不自然なこの姿勢は大メディア自身の閉鎖的な歪みを感じさせるとともに、やはり絶滅寸前の恐竜のごとくのたうちまわってなりふりかまわずネットを強力に抑え込みにかかるのだろう、とやはり私もまたギルモアさんと共に暗い未来像を想定せざるをえなくなってしまうのだった。
ついでながら私自身がここで書いていることを連ねて反省すると、私は日本のメディアの記事個々を批判する気はあまりない。批判するにはあまりに無味乾燥で内容に乏しい場合が多いからだ。それと日がな4つに組んでディテールを精査する、"blogging"などというように進行形で付き合うほどの余裕は金・時間・教唆能力、三点揃ってない。あったらいいんだけどね。そしてリビドーを刺激されるような記事には滅多におめにかからない。情報自体はすでにそこにあり、そうした情報と現場、そして記者自身の生を結び付ける力があまりに欠落している。配信記事の奴隷になっている時間が長すぎたんだろうなあ、とか記者クラブで骨髄が溶けたのだろうなあ、とかいろいろそうした事情もわからなくもないが、だったらなんで記者やってんの?と私は思ってしまう。ブロギングしなきゃいけないのはオマエラだろうが、などなど。反省になっていない・・・
一方で私はこの一年イラクの情勢や科学ニュースなどを折に触れて紹介しているが(時間があるときだけなのだが)、これは日本の大メディアの上記のような本質的な問題だけではなく、もっと初歩的に、情報をあさるハイエナ能力が恐ろしく欠落しているように思え、絶対量として貧困な中、サプルメントとして少しでも寄与できるのではないか、という不遜な思いから紹介したりしている。もちろん、そうした情報と自分自身の関係を考えるという手前勝手な意味が、長らく読んでいただいている方にはおそらくご存知のとおり、第一ではあるけれど。

*1:この点毎日新聞は他の二大全国紙と少々ちがって、上記のように私の知る限り少なくとも2例、記者自身の積極性からかブログとの交通を見かけている。会社がもうすこしオープンなんだろうな。[041125 追記] なんて思っていたらid:flapjackさんのところでちょうど毎日新聞を巡るとてもおもしろい議論など。”我が社の一貫性”に関することだが、とてもおもしろい話なので是非ご参照を。id:flapjack:20041125及びid:flapjack:20041126