日本人人質 遺体発見?
Government trying to identify body that resembles Japanese hostage
TOKYO (AP) A body found in Iraq resembles a Japanese civilian taken hostage by Islamic militants and threatened with death, but the government has not yet positively identified it, a Foreign Ministry spokesman said Saturday.
Hatsuhisa Takashima, a Foreign Ministry spokesman, said the body was found near the Iraqi city of Tikrit was being flown to Doha for experts to determine if it was hostage Shosei Koda, 24. The body was found by the U.S. military.
”無謀な旅行者””迷惑者”から実際の犠牲者に転じたことで、拍車のかかっていた讀賣産経ノリの自己責任論には少々ブレーキがかかるかもしれない。そして、自分で赴いたとはいえ日本の戦場であるに他ならない場所で死んだ人間をそれでも冷酷に断罪(ーおそらくは冷たい目ー)するであろう”良識”はさておき、犠牲者の若者が職なしキャリアなしで世間をうろうろするいわゆるニートであったことは注目に値する。ニートが国家と正対面し、接続された瞬間が、この一週間だったのだ。国家の欲望の狭間で自殺するかのように死んだニート、この事実はイラク侵略の非対称な構造と日本国内のエスタブリッシュメントとニートの間の非対称な構造をそのまま反映しているかのように私には思える。現行の国家論理、特に工場経営者と工場労働者の関係を思わせる大日本ファクトリーの論理に従えばニートは生産活動を停滞させる邪魔者にほかならないのだ。春の人質5人と彼らの生き様、イラクにいた理由等から引き比べる論調を眺めるたびに私はそんなことを思う。
ところで今後私は日本政府を慮り、自分自身の行動を慎むべきだろうか。人質にしてください、とばかりにイラクに飛び込んだ犠牲者はいわゆるアホであることに間違いはない。この間の春に人質になった人間がアホである、という意見はそのころに書いたので繰り返さないが、優秀な国民からアホな人間まで、人間の気質性向に広いスペクトラムがある中で、アホな国民は捨て置いてよいという社説が堂々と開陳される様子を眺めるのは上に書いたようによい気分ではない。国に従順なおかつ勤勉でなければ国民としての権利は認められないというならば、封建時代の農奴となにが違うのだろうか。アホな自分を省みてそんなことも私は思う。
[追記]
遺体は別人、というのが上の記事を書いてから24時間後の状況(西ヨーロッパ時間04年10月30日19時)。それにしても当人はどうなっていることやら。
[追記] 11月1日:参考になる記事があったのでリンクします。 pavlushaさんの「“1995年”の向こう側 」
http://pavlusha.exblog.jp/1251936/