コルビジェ・ビーチ

ニースから東にモナコを過ぎ、20キロほど離れたところにカップ・マルタンという半島がある。小さな湾の海岸から少し上がったところに、ル・コルビジェの終の棲家が立っている。本人にとって終の棲家だったのかどうか私はしらない。そもそもル・コルビジェ自身が自分で設計した夏の休暇のための小屋である。とはいえ結果として終の棲家となったことは確かだ。ちょうど近くまで来ているので私は行ってみることにした。

4メートル四方の質素で小さな丸太小屋。カップ・マルタンを巡る遊歩道、プロムナード・ル・コルビジェから見ると斜め下の木立の中に見つけることができるのだが、表示も何もないので、この小屋を目当てにやってきた人間は探し出すのにとても苦労する。私の場合は特に事前の情報不足で、半島の反対側、チャーチルの別荘あたりから探し始めてしまい、強い日差しの中、45分もさまようことになった。半島の反対側遠くにはモンテカルロの近代的なビルが水蒸気に霞んで遠くに見える。このままだと熱射病かなあ、などと思い始めたころにやっと写真で見たル・コルビジェの小屋を発見した。

これが本当にル・コルビジェの住んでいた家なのか、物置なのではないか、と思うような小さな丸太小屋だ。あいにく中に入ることはできず*1、外から眺めるにとどまったが、銃眼のように穿たれた窓もまたいかにもそっけなかった。ジャン・プルーベがデザインしたという窓の金具も特に印象的ではなかった。小屋の外に植えられた熱帯植物だけが妙に生き生きとしていた。小屋から斜め下を眺めると、小さな海水浴場がある。あそこで泳ごう、と私は決めて、また45分の灼熱の道のりを歩いて戻り、そこにおいていた車で海水浴場に向かった。

海に潜ると、海底は複雑な地形をしていて、海草がびっしりと生えていた。その間を泳ぎ進むと、小さな魚の群れが煙のように舞い上がる。その様子がとても楽しかった。しばらく夢中になって潜水をし、疲れきって浜辺に戻って寝転がる。そこからもル・コルビジェの丸太小屋を眺めることができた。野鳥の観察基地、と言われれば、ああそうなんですか、と納得してしまいそうなぐらい小さい。こっち側から行けばなんのことはない、すぐにあの小屋にたどり着けたのになあ、と恨めしく思う。

ル・コルビジェは夏の朝、あそこの小屋からこの海岸にのこのこと下りてきて、日がな日向ぼっこをしていたのだろうなあ、と私は浜辺に寝転がって想像する。時々思いついたように海に入り、やはり魚の群れを眺めては悦にいっていたのだろうか、と考える。ル・コルビジェが溺れて死んだのはたぶんこの海岸だった。1965年8月27日のことである。

*1:後ほどガイドブックを読んだら、事前に街の役所に電話して週二回のツアーに登録しなくては入れないのだそうだ。