中国における「反日教育」について。

江沢民時代の反日教育が昨今の日本人排斥ムーブメントを基礎づけている、という先日ちらっと触れた話が気になって、そこでリンクしたグリースさんの論文を読み、ついでにざらざらといろいろな情報を眺めてみた。’南京大虐殺はなかった’的な極端に悪意に満ちたウェブサイトが多くていやな気分になったものの、一方でまともな内容のウェブサイトもある。グリースさんの論文でおもしろいと思った観点は、第二次世界大戦後の中国は50年代から80年代の間は(毛沢東時代)勝利者史観(victor narrative)であったが、90年代に入って敗者史観(victim narrative)へと転換した、という見方。この転換は共産主義から市場経済主義への移行の裏面であり、国家統合理念の転換に向けた政治的な戦略でもある。

歴史概略
毛沢東時代における第二次世界大戦の位置づけは、抗帝国主義・抗日戦争に勝ったという勝利史観である。勝者ゆえに、日本に対する反感は今ほどあからさまに浮上することはなかった。1972年の日中国交回復が可能だったのは、国家利益の優先ということもあったが、’勝者の余裕’がそれをサポートした、という側面もあった。トウ小平の時代になり共産主義の衰退・市場経済の導入が進む。それまでの国家統合の理念であった「大きな物語共産主義の崩壊に代わり、中国共産党は国民の統合性をナショナリズムに求めようとした。敗者史観はナショナリズムの高揚に必要な要素であった。「我々はこんなにひどいことをされたのです。このようなことが二度と起きないように、我々中国人は一致団結してまとまらなくてはいけません」という感じか。
階級的鉄槌から民族的鉄槌へ、という意識改革に沿い、敗者史観は反日・反米という形で愛国心を煽る。日本に対しては特に被害者としての中国が強調される。その一方で、敗者史観は儒教的なメンツを重んじる中国の人々にとって、兄たる中国が弟たる日本に負けたという許しがたいジレンマともなった。かくして反日の焔がますます燃え盛った。これが江沢民時代。
とはいえ、経済的に日本との関係が急速に深まる中でこれではちょっとやりすぎだ、と中国共産党(以下CCP)は方針転換を行おうとした。同時に日本との心情的な和解を目指す馬立誠の「新思考」論なども世間をにぎわしたのだが(後述)、もはや時すでに遅し、CCPのコントロールはうまく効かず、中国の人々の中に火がついた反日感情は燃え続けた。しかもタイミングの悪いことにコイズミは靖国神社公式参拝するわ、昔の毒ガスが出るわ、日本人会社員は集団買春するわ、日本人留学生は空気読まずにアホな出し物をするわ、サッカーで負けるわ、と中華ナショナリズムを焚き付けるにはことかかない21世紀の始まりとなった。現状はどうやら、CCPはより親日的な立場をとりたいらしい。しかし反日に燃えてコントロール不可な国民の手前どうも煮え切らない。同時に親日的態度をとるのが世間的に怖くてできない(後述)、という中国の現状まる。これはかなり厳しいのではないか。大衆を恐怖して口つぐむ知識人、というのは文化革命時と似ていなくもない。

愛国主義教育
さて、件の「反日教育」であるが、これは上記のように階級から民族へ、という転換のなかで行われた民族主義を強化する試み'愛国主義教育'である。そもそもの目的は反日とは限っていなかった。反帝国主義の強調による愛国主義ポテンシャルの増大、とでもいうほうが正しい。
そもそもの愛国主義教育がすなわち反日、とはいえないことは、たとえば90年代後半に激しい反米抗議行動が中国人の学生の間で起こったことからもあきらかだ。愛国主義には常に敵が必要であり、特に多民族国家である中国では外の敵がどうしても必要になる。同じく多民族国家の米国が、「テロ」を敵として愛国心を焚き付けている。共産主義というカウンターバランスが消えた途端に、合衆国・中国のいずれもが外部に敵を設定した、という点が共通しているのはネーションステートのあり方として明白ではあるが興味深い。かたやテロ、かたや歴史の中の帝国主義
過去の帝国主義の代表として大日本帝国が前面化したのは、近現代史の経緯からいえば一番最近の侵略者であるから、と考えられるだろう。より大きな理由は、中国人一般の心理的な側面である。歴史的に日本と主従の朝貢関係にあったということ、中国で開発された漢字を日本が使っていることなど、長い歴史の中で「中国が主であり日本は従である」ということから、中国人の優越意識は揺るぎないものであり、それだけに日本に侵略されたという転倒した事実は中国人の怒りを燃え上がらせる。
愛国主義教育の契機は1989年の天安門事件、奇怪な商業共産主義なる矛盾を抱え、なおかつ内陸と沿岸、地方と都市の不平等があからさまになる中、「民主化」を抑制するために、システマチックにナショナリズムを高揚する政策が実施された。江沢民のもとで91年、 「小中学校における近代史、 現代史及び国情教育の強化についての綱要」が発表された。マスコミや教育機関は近現代教育を徹底することが求められた。続く1994年8月には、愛国主義教育の根幹となる「愛国主義教育実施綱要」が発表された。こののちの経緯は次の引用に詳しい。*1

愛国主義教育は教育上重要と位置づけられるようになった。また中宣部は同時期に「100本の愛国主義的映画を観る運動」や「100冊の愛国主義的図書を読む運動」、「100曲の愛国主義的歌を歌う運動」を始め、愛国主義教育を高揚させるキャンペーンを行った。そのなかの一つに「愛国主義教育基地」を建設し、青少年を中心に「愛国主義教育基地」を訪れて学習するという運動がある。・・・
また昨年特に見られた新たな動きとしては、『民族魂』や『血鋳中華』のようにオンライン版愛国主義教育基地が次々と開設されたことを挙げることができる。また各地の愛国主義教育基地に指定されている歴史遺産や博物館も、南京市の建党80周年を主題として「党旗飄飄 」のように独自のウェブサイトを立ち上げている。・・・
中国の学校教育では、各教科で愛国主義教育が重視されなければならないとされている。そのなかでも歴史教育は中国近現代史を背景として特に愛国主義教育との結びつきが強い。愛国主義教育基地歴史教育との関連については「全日制高級中学歴史教学大綱」で、課外活動との結合のため、当地の愛国主義教育基地を十分に利用し、学生を遺跡や博物館・記念館などに訪れさせて知識面を広げるだけでなく思想教育を強化する、とある。中国の愛国主義教育のようにナショナリズムに基づく歴史教育は他の国でも盛んに行われており、国民国家形成のための必要な教育である。日本でも中学校学習指導要領社会科 の目標で「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め」とあるように愛国心を高める教育は行われている。また 高等学校学習指導要領日本史Bでは「博物館や地域の文化遺産についての関心を高め」とあり、中国の愛国主義教育基地のように歴史遺産を生かした学習も期待されている。
この愛国主義教育基地の教育活動は、日本軍の侵略の記憶を拡大再生産して不満を外に向けて、失いつつある共産党への支持を繋ぎ止めるためにあるという指摘がある。私もこの見解に賛成だが、現在の中国の愛国主義は日本や帝国主義列強の侵略の歴史に対する反感や屈辱だけが源ではないだろう。愛国主義教育基地は「中華民族」の古代における文化遺産や模範的な共産党員に関する記念館なども指定されている。それは中華文明を背景に「中華民族の凝集力」を高めて中国の統一を保持し、また模範的な共産党員を提示することで共産党 への支持を繋ぎ止めるという効果を期待しているのだろう。そのため中国の愛国主義教育は「反日」だけのレベルで捉えるべきでないだろう。
また中国の愛国主義教育というと、非常に厳格で恐ろしい思想教育が行われているのではないかと普通日本人は考えるだろう。しかし実際には愛国主義教育も形骸化している部分が多いと私は感じているし、そういう情報は日本には伝わりにくい。

愛国主義教育基地’というのが漢語なのですごい迫力なのだが、内実は古代から現代まで渡っていて、歴史博物館いろいろ、という雰囲気。たしかに19世紀から二十世紀前半の帝国主義に対する抵抗に関するものに偏ってはいる。しかも日本の侵略に関するものは確かに多めである。これは中国共産党の立場からすれば、帝国主義、特に侵略者日本と闘った、という形でしかその正統性は存在しないからである。リストは「愛国主義教育基地」というキーワードにペーストする予定。*2

愛国主義教育の波及 第一次

かくなる愛国主義教育の効果は、次のように波及していく。

 九六年に出版され、 海賊版も含めて三百万部のベストセラーになった 『ノーと言える中国』 は、 九〇年代初頭から強化された愛国主義宣伝によって醸成された民衆の気分がストレートに表明された書であった。 『ノーと言える中国』、 二冊目の 『それでもノーと言える中国』 とも、米国批判が主であるが、 日本に対する舌鋒も鋭く、 例えば日本は 「国家意識という点では、 アメリカのコントロールを受け、アメリカに後見されている子供のような状態である」 とし、 「必要とあらば力をこめて叩くことが大切だ!」 と書かれている。
 また、 戦争賠償の放棄の問題については、 「軍国主義者と人民を分かつ論」 を論駁し、 日本国民同罪論を主張している。 九〇年代半ば、 戦争責任は日本国民にもある、 という考えが、 中国の市井の人々に素直に入ってくるような空気があった。
 二冊目の 『それでもノーと言える中国』 が出版されたのは九六年十月、 その年、 日本の政治結社が領有権の争われている尖閣諸島(中国名:釣魚島) に灯台を設置、 香港台湾を含め 「保釣運動」 が起こり、 反日キャンペーンが改めて高まる事態となり、七月二十九日に橋本総理大臣が、 現職総理としては、 八五年の中曽根総理以来の靖国参拝を果たし、 中国は核実験を強行する。そのような時代背景であるがゆえ、 日本批判に全四章のうちの一章をたて、 日本を封じ込めろという主張が展開されているのである。
 もうひとつ、 九〇年代後半の日本イメージに影を落とした事件としては、 東史郎氏の裁判をめぐる一連の報道と 「従軍慰安婦」、 「七三一部隊」、「強制連行」 などの民間賠償請求の動きがあった。 一九九八年東京高裁で東氏側敗訴の判決が下りた際、 中国外交部の報道官は、「これは普通の民事訴訟ではなく、 実質は、 ごく少数の日本の右翼勢力が司法手段を使って南京大虐殺を否定しようと企図するものである」 と断じ、また最高裁の上告棄却後、 中国の唐家外交部長は、 「司法の圧制であり、 日本がこういう態度をとり続けると、 周辺諸国との関係を不利にする」と述べた。
 そして、 二〇〇〇年一月最高裁が東氏側の上告を棄却し、 その二日後に、 大阪の国際平和センターで、「二十世紀最大の嘘・南京大虐殺の徹底検証」 という集会が開かれ、 そこから、 日本の官庁のホームページへのハッキングが相次ぎ、中国における対日世論が悪化する。
中国ビジネス、日系企業の課題と対策 渡辺浩平 2003/12/01(月)

いやはや、ネーションステートはどこでも没落気味のようであるが、中国側の動きを見ずに鈍感な内向き政治で耳を塞いだかのごとき日本政府もまた、いかにもタイミングがわるい。火に油とはこのことである。

...以下あと一回続く予定。

  • 愛国主義教育の波及(第二次)と馬立誠の’新思考’

などなど。

*1:筑波大学のスタッフ、原田博康さんというかたのサイト、日付2002年10月14日からの抜粋なのだが、グーグルのキャッシュにしか残っていないので、リンクしません。

*2:これまた原田さんのページからですが、これもキャッシュにしかないので、そのままコピペしました。