人生はタバコの煙みたいなものだ

Smoke(1995)
Blue in the Face(1995)

久しぶりにいい映画。この連作はいずれもポール・オースターウェイン・ワンの映画で、舞台も一緒。ブルックリンのタバコ屋。ハーベイ・カイテルが店主。前者は親と子の葛藤、という物語。後者は小ネタとドキュメンタリーが延々と続く。「スモーク」の方は、タバコの煙の重さの測り方から始まる。「吸う前のタバコから吸った後の灰の重さを引けばそれが煙の重さだ」。むむ、すかさず私は「肺にたまるタールはどうなんねんボケっ」と脳内突っ込み。煙の重さを人生に比すところがなんともかっこつけすぎなのだが、映画自体がルー・リード的というかニューヨークの下町的ヨレヨレ感満載なので、私は許してしまう。どころか感動してしまったのだった。ヨレヨレ感といえば「ツリー・ラウンジ」だけど、都会なので瀟洒だ。95年だからかな。「ブルー・イン・ザ・フェース」はひたすらおしゃべり。ストーリーは実に単純で、要はつぶれそうだったみせが潰れませんでした、ということなのだが、これはあまり重要ではない。最初から最後までいろいろな人が出てきて喋り捲る。たいして面白い話でもないのだが、えんえんときいていると不思議な多幸感が湧き出してくる。最後の一本のラッキーストライクを吸いながら、初めて吸ったタバコや、セックスの後のタバコのことをダラダラ喋るジム・ジャームッシュ、ブルックリンの女の子の喧嘩がいかに派手かを説明する18歳の女の子のインタビュー。歌を歌いに現れる詐欺師。歌を歌いに現れるマドンナ。傑作はカウンターによっかかった姿勢のまま、表情も崩さずにタバコへの愛、コーヒーへの愛、出ようと思って35年も出られないブルックリンへの偏愛、自分の眼鏡への奇妙な愛を語りつづけるルー・リード。映画館には私を含めて観客たったの3人だった。ど真ん中に座って私は笑い死にそうだった。笑いつかれてほっとしながらエンドロールを眺めていると、思いついたようにルー・リードが再登場。相変わらず同じ格好でカウンターによりかかってタバコを吸っている。カメラの外から声がかかる。"why are you smoking still?""No, I'm only puffing"。がはは。ルー・リードだから笑えるんだろうな。

同じ頃、96年のサンフランシスコでも歩きながらタバコを吸う事ができた。ガーリック・ローズというニンニク料理屋で芋でもかじるかのようにニンニクを食べ過ぎて、お、ニンニクって本当に興奮剤なんだなあ、とハイになった頭で「フィルモア」に行って中国人のスタンドアップ・コメディを、タバコをやたら吸いながらゲラゲラ笑って眺めていた。今でもあそこでタバコ、吸えるのだろうか。そんなことを考えると、この映画二作は消えてゆくタバコへのオマージュだ、と思う。