愛国心

上の続き。
愛国心をめぐる議論は、滑稽なところがある。愛国心をめぐって、次のように簡単な分類をする。

1、汎愛国心論者
愛国心を賞揚し、積極的に愛国心を社会的に賞揚させるべきである。
2、単愛国心論者
私には愛国心があるが、人それぞれである。
3、反愛国心論者
愛国心を社会的に賞揚させよう、という1の立場に反して、そのようなことをしてはいけない。
4、没愛国心論者
私には愛国心がない。賞揚させようとしてもムダである。
5、非愛国心論者
愛国心を社会的に賞揚させることに私が巻き込まれるのはいやだ。

1汎愛国心論者の立場と3反愛国心論者の立場の間で交わされる議論は、真正面衝突なので、罵倒雨あられであっても、まあ、あたりまえの議論である。1と5の間でもそうだろう。滑稽に思え始めるのは汎愛国心論者と4没愛国心論者の間の議論である。汎愛国心論者は必死になって愛国心がないはずないではないか、と釈伏させるかのごとき焦燥を見せ始め、一方で没愛国論者はひたすら涼しい顔で、でも愛国心ないんです、と説きつづける。要は仮定の齟齬があるので議論はそもそも成り立たないのだが、1は仮定を仮定ではなく絶対としているので、議論は進行する。滑稽感は、このありえないはずの議論、ということに発するのだろう。要は2と4の並存で十分なのである。あとは機能としての国があればそれでよい。