座頭市

ドンキホーテで夜半すぎに衝動買いした北野たけしの「座頭市」を見た。時代劇にタップダンス?なんてキワモノ的センセーションの広告を見ていたので、どんなものか、と興味あったのだが、なんのことはない、時代劇の王道だった。タップダンスは難が去った村人の喜ぶ姿として描かれ、意外さは全くない。クロサワの映画でも、最後は村人の踊りと酒で大団円、ではないか。一緒にみていたドイツ人は、「タップダンスは昔の日本にあったのか」と私に質問をしたが、時代考証はともあれ、ダンスはダンスだ。歴史を学ぶために座頭市を見るアホはいないだろう。

随所に登場する案山子がなにやら意味深、と思っていたのだが、終わってから考えると、それは単に観客の気分を補助するための、起承転結の区切りなのだった。決戦のため隠れていた田舎家から街にとぼとぼと向かう市が、道に放置された案山子を立て直すシーンが、終盤の近いことを観客に知らせる。その「結」の象徴を自分で立て直すあたり、私は北野たけしのこれまでの映画にない意気込みを感じた。この意気込みは、殺陣にもよく見て取ることができる。これまでの映画における北野たけしの殺人は、常に無表情な乱射だったが、今回仕込杖を三分に抜いて身構える市の表情は凄まじい迫力。王道であること、典型のアレンジであること、なおかつ洗練されていることを考えると、これは傑作である。