国旗国歌と学校の関係

昼飯の時に他の国の事情をちょっと聞いてみた。フランス。学校で国旗国歌は見ないし歌わない、と言っていた。学校の外に立っていることはある、とのこと。いやー、このあいだ日本で国歌を歌わなかった先生が200人処分されたんだよー、といったら、おお、かの有名な日本のファシズム復活か、といっていた。ファシズムとはいわんが、そんな印象もって当然だよな。クロアチア人。クラスの中に、赤と白のエンブレム(クロアチアの旗の中にあるマーク)があることはあるが、国歌斉唱はありえん、と言っていた。国歌斉唱はサッカーの時だけだ、という。私は98年のワールドカップ、ドイツークロアチア戦の時に、ドイツ人の群集の中でクロアチア人のグループが国歌を歌っていたのを思い出す。戦争中はどうだったのか聞いたら、政治的には超国家主義的だったけれど、学校は別だ、だって先生がいるじゃん、とのこと。戦争中でも同じクラスにカソリック・モスレム混在だったので、学校でそれやったらヤバイよなあ、と言っていた。イタリア人にも聞いてみた。クラスの中には小さな十字架が壁にかかっていて、これまた先生によるのだが、信仰厚い先生は毎朝生徒たちに祈りを捧げさせることがあるそうだ。国旗国歌を学校で生徒に強制することはない。卒業式とかは?ときいたら、イタリアではそもそも卒業式がないので、そうした形での国歌斉唱もありえない、とのこと。生徒に国歌や国旗を強制させろ、愛国心を醸成するのだ、というような右翼側からの議論はないんだろうか、と聞いたら、ない、そんなことしても意味ないじゃない、という答え。

なんとなく宗教・国家・個人という三角関係がみえてくる。日本ではこの三角関係が潰れて、一直線の束になっている。国旗国歌の強制はこの束の融合に他ならない。