メモ。えらくむちゃくちゃだなあ。
吉本隆明タームを使えば、対幻想と共同幻想がテレビ的なるものを通じて著しくオーバーラップしているのが問題なんじゃないか*1ってつらつら思っていたんだけど、id:finalventさんの所の、今日付けの回転ドアをめぐるディスカッションを読んでいて、お、逆かもしれん、と思いついた。だったらそれ*2が実は国家の実態なのであると逆を向いて再出発も考えないと、と脊髄反射。北朝鮮拉致被害者に家族のように共感し、いずれ自衛隊員の死を家族の死のように扱うかもしれない目下の日本あり方そのものが日本国家、「この国のかたち」なのである。なおかつ、対幻想は再発見の対象だ*3。自分に言い聞かせるつもりでメモが、国の話を家族的な感情を投影してしか理解できない、ということではないのだ。
とても関係する話で、丸山丸山、っていきなり宮台真司氏がこのところ言い出しているのもとても気になっている。これは私はfinalventさんのいう、きれいな切捨て、だと思う。宮台真司氏には、援助交際女子高生を切り捨てた前科がある。いろいろ言い訳はしているが、煽ったあげくに切捨て。責任とってロビーイング、といいながら、今度は魂だのなんだの、だからなあ。吉本的な批判のあり方は、もう一度見直さなければいけない、と私が最近思っている理由はこのあたりにもある。