「平和的生存権を侵害」元郵政相がイラク派遣中止求め提訴

提訴の内容にある「日本人がテロの標的にされる可能性は増大し、平和的生存権を侵害される。」は私の主張と一緒である。がんばれ、タコオヤジ。

ところで、二つ年上のドイツ人の同僚がいる。彼は三代前からの由緒正しきベルリン出身である。ベルリンの壁が壊れた1989年、彼は大学生としてあの現場のベルリンに住んでいた。私は、あのベルリンの壁がどんどん壊される様子を、東京でテレビにかじりついて見ていた。けっこう興奮した思い出だ。そんなわけで、彼に「壁が壊れたとき、やっぱり壁に上ったりしたわけ?見に行った?壊した?」と意気込んできいたことがある。で、彼の答えは「オレもテレビ見てた」。私は拍子抜け。

最近になって、日本人もテロで狙われるようになったんで、イヤダイヤダ、とその彼にいったら、彼は「いや、まだまだだ」と言った。解説をいろいろ聞いていてとても感心したのだが、あの冷戦の最前線、ベルリンに生まれ育っただけあって、「戦時下」を肌で知っているのである。そうかんがえて、私が思い出すのは、大学の目の前にあった広場のことだ。妙にだだっぴろいその広場にはど真ん中に、モダンアートのスカルプチャーが寂しげに置かれていた。ある日、その広場の下に、巨大な防空壕があるのを知った。大学で実験助手をして20年のおばちゃんに聞いてみたら、核シェルターなのだそうだ。89年までは、一ヶ月に一回、空襲警報の練習があったのだとか。そういわれて見てみると広場の片隅には、古ぼけたラウドスピーカーが設置してある。あれから10年以上経って、防空壕は時々若手アーティストのインスタレーション発表の場として使われている。話が脇に逸れたが、ドイツはついこの前まで、戦時下にあったのである。その最前線、ベルリンに住んでいた同僚の傾聴すべき意見が、「まだまだ」というのだから、まあ、大丈夫なのかもしれない。だけど、「まだ」ってことは、「いつか」があるってことだよな。ベルリンの壁と同じように、溶解してくれることを願いたい。

追記

オホーツク海新聞箕輪登氏インタビュー