陸上自衛隊、海上自衛隊本体にイラク派遣命令下達。


なし崩し、というのは新聞の社説に頻出する手垢にまみれた批判タームだが、今度こそなし崩し、というべきである。先に派遣されていた様子見の先遣隊の報告は、予定どうり「サマワ安全也」であった。サマワが危険かどうか、というのはあまり関係ない。イラクが危険なんだから。ロバート・フィスクの記事を参照にすれば、米国や日本のメディアに全く登場しない戦場が現実であることを知るだろう。そもそも危険かどうかなんてあまり関係ないのだ。この世界情勢において、日本が米国に兵を差し出した、という象徴的事実が今後の日本にとって重要なのだ。

危険かどうか、という点についていえば、日本に対する本格的なテロはしばらく先のことになるだろう。イギリスの汎イスラム系新聞に発表されたアル・カイ-ダ側による「イスラム二段階革命理論」によれば、二段階革命(すなわちまず、侵略者である米国ならびに同盟国を撃退、のちにローカル政府を撃退する)の意義はいくつか挙げられているが、一つは悪の枢軸を打ち破る、ということにある。このことで、地元の民衆の支持を得ることが肝要なのだが、だとしたら、日本を今すぐに攻撃することは、テロ攻撃としての効果を最大限引き出すことができない。

彼らイスラム過激派は悪の枢軸として、米国を帝王とした同盟国を含める。日本がこの悪の枢軸にすでに入ってしまったことは、説明さえすれば小学生でもわかることだろう。とはいえ、近日中に日本を攻撃するのは愚策であることもアル・カイーダはおそらく冷静に計算している。サマワの「就職斡旋の期待度」が最高値に達している今は時期ではない。テロ攻撃に反感が向かうからだ。

したがって、テロ攻撃はサマワの住民が失望し始める時期であろう。すなわち「就職を斡旋してもらえなかった」という地元の不満分子がある程度増え、こいつらただの占領軍ではないか、という陰口がささやかれはじめた時がタイミングとなる。もし自衛隊に対するテロ攻撃を回避しようとするばらば、自衛隊はひたすらサマワの人々の要求を聞くこと、彼らのいうなり、いわば奴隷と化す意気込みでなくてはならない。自衛隊がいてくれて、心底うれしい、という地元の雰囲気をキープしなければいけないのだ。

でもたぶん、日本の政府にそんな気はまったくない。攻撃して欲しい、というのが日本の政府の態度である。自衛隊員に死んでいただかねば、「国際貢献」にならないし、不謹慎なことに彼らが思い描く次へのステップの弾みとはならないからである。

というわけで、海外に居住する日本人の一人、私の存在の危険度がまたひとつ上がった。ならびに、未来の日本の中学生が、テストで憶えなければいけない日が、また一日増えた。2004年1月26日。「自衛隊が海外で戦争をはじめた日っていつだっけー?2008年だか2003年だったと思うんだけどー」。とまあ、日本史なるものがそんな未来にあれば、の話であるが、ともかくも、あのややこしい1920ー30年代と一緒で、ごちゃごちゃするであろうことは想像に難くない。

そう、それにしても思うのだが、目下はてな界隈で「80年代の意義」およびそもそもそんなことを議論する価値は果たしてあるのか、といった意見が仲俣さんのところを発端に飛び交っている。私は、id:kurosawa31さんの次の意見に注目した。

[引用]
実はこの問題(たとえば「オウム」でありたとえば「小林」であり、たとえば「おたく」であり、たとえば「ネタとベタ」の問題)に一番真剣にコミットしてきたのはあの年代の評論家たちであって、敢えて媒体の名前を挙げるならやがてベタ化・2ch化していく「宝島」言論なのです。これは彼等の世代の問題というよりは、わたしたちの問題だとわたしは考えます。

宝島の(正負の)遺産をどう引き継ぐか?

宝島、とは限定しかねるが宝島的、という言い方で代表される言説はある。私は2ちゃんねる的な言説を80年代・宝島的なるものの先鋭化とするならば、80年代を考察する意味がある。しかし、同時に吉本隆明と80年代の関係もきっちり連続させて抑える必要があるだろう。

とはいえ、私が感じるのは、自衛本隊が派遣されるというこの社会状況をさしおいて、「80年代とはなんだったのか」と熱心に議論するその姿勢が、きわめて80年代的である、ということだ。対象へのフェティシズムが現実への批判に接続しない。これがまさに80年代なのである。80年代を議論するならば、今日、日本が自衛隊本隊を派遣したという事実と接続させて思考するのが00年代なのではないか。時代は連続しているのだから。