ブッシュ大統領の一般教書演説に対して、イギリスの新聞「インディペンデント」は2004年1月20日付け記事「George W Bush and the real state of the Union(ジョージWブッシュと米国の実情)」で、痛烈な批判を展開している。ブッシュ政権の「成果」を数値で挙げるのみのシンプルな構成だが、英国ジャーナリズムの息吹を感じる極めてすぐれた記事だ。米国の現状を知る上で非常に興味深いリストなので一部を以下に引用する

暗いニュースリンク 2004年1月25日

この数字のリスト、保存価値があると思う。この米国に従わないと日本の未来がない、ってことなんだが、本気なのかな。

日曜の朝、半覚醒半眠状態の時に妄想していた。

対米従属をやめる。そのとき日本が一番困る部分は石油である。軍事ではない。日本の経済を動かしている石油がなくなるのは、人が大勢死ぬよりも困る、というのが株式会社ニッポンの指導層のホンネだろう。人はいくらでも産まれてくるし、流入させることもできる。

石油が枯渇しつつあるというのは随分と昔から言われつづけて、確か「2000年にはもうなくなる」という見通しさえもあった。まだなくなっていない。でも、確かに油田の新たな開発も毎年行われているが、この新たな開発は、深く掘ることで技術的に難しくなりつつばかりか、発見される埋蔵量も年々減少しつつある。一方で石油の消費量は年々増加する一方だ。いずれ石油が足りなくなるのは目に見えている。このことがあまり話題にならないのは、あまりに現実的すぎるから、直面したくない、という心理が隠れたコンセンサスになっているのではないか、という気さえする。

日本が中東介入する米国を支持する意味があるとしたらこの一点なのだろう、と私は思う。江戸時代の水の奪い合いと同じことだ。足りなくなることが目に見えている石油を今のうちにできるだけ確保しておきたいのである。だから喧嘩をしてでも奪いに行く。

しかし奪ったとしても石油は水と違って、今をしのげば天から降ってくるものではない。いずれなくなるのである。なるべく早く、必死になって代替エネルギーを開発する必要がある。プリウスだのなんだので誤魔化している場合ではない。石油を前提とした省エネルギーでかりそめの満足を得ている場合ではないことは確かなのである。

ここにおいて日本はコミットメントすべきではないか。日本には代替エネルギーを可能にする技術と社会がある、と私は思っている。例えば米国と手を切り、石油に頼らない文明を創造する決意を全世界に向けて訴えること、そのために全身全霊をかけると本気でいうこと、そのために人材が必要であり、万難を排して研究者や技術者を日本に招聘する意志を示すこと。必要なのは代替エネルギーの専門家だけではない。文化自体を創りかえる必要があるのだから。

研究者や技術者が、世の中の文系人間よりもよっぽどロマンチストであることはたぶん誰でも知っているだろう。日本がそうした確固たる目標を示し、エネルギー争奪戦における背水の陣、すなわち石油帝国米国と決別することを実際に身を持って示す。この目的に本物の歴史的な大義を感じて世界の研究者・技術者が結集するに違いない・・・などと朦朧たる妄想に興奮しつつ徐々に覚醒すると外は暗いヨーロッパの冬。

妄想ではある。でもあらためて考えてみても、今、これを実行するのであれば日本は好条件にある。科学技術資産(ブルデューの「文化資産」の科学版)と、国際関係における位置を考えたときに、そうなのである。対米債権は回収できる限り新しい文化の創造に使えばよい。