フランクフルト、ウィリアム・フォーサイスの秋公演。全4幕、新作のRicescarは3幕目。このタイトルは中世の鍵盤楽器で頻繁に使われるフーガのような音楽技法のことを意味する言葉である。即ち「反復技法」。男女二組のオーソドックスなバレエの振り付けがやがて痙攣するような不調和をきたしはじめ、最後には床の上で足をまっすぐに投げ出し、胸に手をあてて窒息するかのように上下に小刻みに跳ねる姿で暗転。閉塞した状況の暗喩。時代的なテーマと平行して、フォーサイスのバレエ団はフランクフルトでその存続の危機に瀕している。不況で予算が配分できない、という市当局の通達が今年初めにあった。たとえフランクフルトを去らねばならなくてもフォーサイスとそのバレエ団は引く手あまただろう。事実、アメリカのダンスレビューにもそうした記事が掲載されている。しかし財政的理由でフォーサイスの20年に渡る活動の蓄積をかくも安易に却下する、という行為そのものに、高度に抽象的で形而上的な活動を軽視する思潮を見るような気がする。そう、なしろフランクフルト市当局が次に求めているのは「もっとクラッシックなバレエ」なのだ。しかし、3幕目の後にジャージ姿で挨拶に登場したフォーサイスはあくまでも軽やかな笑顔だった。そして多少やりきれない思いで見始めた4幕目は実に見事だった。15人のダンサーがいっせいに、轟音を立てながら机を引きずって舞台奥から現れる。机は舞台の床から70センチほど上方に、もうひとつのレイヤーを作り出す。ダンサー達は机と机の間、机の下を凄まじい勢いで動き回り、跳ねる。上下方向に分たれた二つの空間では別々の運動が起こり、軌跡が交錯し、時にはコヒーレンスを保って収束と発散を繰り返す。半身を折って机の高さで駆け抜けるダンサーの姿は、磁力に引かれているかのようだ。終盤、ダンサー達が左袖の方に集まっているときに、ダンサー達の一人が右袖から乱暴に机を押しやる。その机に押され、机が暴力的にがたがたとビリヤードの球のようにぶつかり合う。これを合図にダンサー達は再びいっせいに轟音を立てながら机を舞台奥へと引きずり戻し、舞台は暗転する。かくして彼らはフランクフルトを去っていくのだろうか、と私は暗くなった舞台を眺める。One Flat Thingと題され、初演は2000年とのこと。静止した机と、その間を動きまわる人間。私のような素人の観客には実に明快な、運動が空間を場所に変換させる姿だった。