つまり東氏や北田氏のように「切断」ではなく「連続性」を強調したかった。
11月15日付偽日記

批評家は切断し、芸術家は連続させる、と読みかえしまった。

このステートメントは別に逆でもいいのだが、世代間の断絶を分析することには意味がない、という点に賛同。私はローティーンのころから数えて断続的な日本外生活が人生の3分の1を占めているので、世代的な暗黙の同意を必要とする話をされても理解不能なことがよくあるし、ましてや納得もしない。そうした人間がけっこう世の中にいる、ということを知らんのかもしれんが。

・・・などなどと思っていたらid:floresさんのところのブックレビューリンクの一部が同じことをいっている。孫引きでもうしわけないが、

結局「日本」の内側でしか話の出来ない人たち

ここまでは断言しないけれど、少なくとも作家の笠井某と東氏の対談を読んでいたときに、世代、というと日本に住んでいる人のことしか考えないのかな、と私は思っていた。