先週、イラクのナシリアでの自爆攻撃で死んだ18人のイタリア兵士達のニュースを読んでいて、彼らがイタリア軍の兵隊ではなく、警察官であることを知った。この悲劇的なニュースが流れると共に、イタリアでは警官の死を悼む電話が警察に殺到し、イタリア全土で電話の通話負荷が通常時の50パーセント増しになった、というニュースも英紙ガーディアンでみかけた。全国の警察署には一般市民から花が贈られたという。それはともかく、死んだ警官にはすまないが、イタリアが警官をイラクに送り込んだというのはとても正しい判断であったような気がする。戦争状態に再突入してしまった今のイラクには適用できないが、そもそも復興に必要なのは略奪や暴動を抑えるための警官であって、軍隊ではない。バクダットが表面的に陥落したあとに起こった放火や博物館の略奪は、そうした事態に対応する訓練を受けていない軍隊(米軍)が対応策を欠いたことで制御不可能な状態に陥った。アメリカは世界の警察になることを目指しているらしい。そのことを認めるか否かとは又別に、だとしたらその任を遂行する能力があるのは米軍ではなくより警察的な訓練を受けた人間の集団でなくてはいけない。日本ももし人間を送り込むのであれば、戦争状態の終結を見てから自衛隊ではなく警官と交番を送るべきではないか。軍隊は場違いなだけではなく、そのプレゼンスはそれだけで示威行為なのであり、露骨な敵意にほかならない。