20代半ばのクロアチア人の友人と飲んでいて、いつか聞こうと思っていた質問をした。「戦争に行こうと思ったか?」差障りのある質問かなあ、と思ってずっと聞くのを控えていた。私の記憶の中では、かなり強烈なプロパガンダを流して戦意発揚工作をしていた、というクロアチアのイメージがあり、5年前のワールドカップの時に登場したクロアチアのサッカーチームにもあまりいいイメージを抱くことができなかったのをよく憶えている。特にあのワールドカップの時には、クロアチアにまず日本が負け、次にドイツが負けた。ドイツが負けたときには、ミュンヘンのビアガーデンで、夕闇の中でかいスクリーンで1000人の観客とビールをあおりながら試合を見ていた。徐々にドイツの形勢が崩れていく中で、前半あれほど興奮していた観客がだんだんと元気を失い、一方で大声をあげ、大興奮していたのは10人程度のクロアチア人のグループだった。後半のなかばからは雨までもが降り始めた。試合終了のホイッスルがなったとき、ドイツ人の観衆はこれが1000人の集まりか、とおもえるほどシーンと静まり返り、さながら葬式のようだった。一方で、テーブルにのり、足を踏み鳴らしながら国家を絶唱し、興奮するクロアチア人たち。

とはいえ、彼は即座に「思った」と言った。国の問題というよりも自分の村の先輩や、同級生が死んでいく中で、家族や仲間を守るために自分も銃をとって戦わなくては、と思ったそうである。そこである日の朝、決意を込めて「俺は戦争に行く」と母親に宣言したのだそうである。即座に返ってきたのは母親のパンチ、もんどりうってレンジに頭をしたたかぶつけた、と彼は頭をかきながらいった。結局かれはその母親に猛反対をうけ、戦争にはいかず、今、神経細胞の研究をしている。

このときに一緒に飲んでいたドイツ人の友達は、この答えにかなり驚いた様子だった。ほんとうにおまえは戦争をしようと思ったのか?人を殺そうと思ったのか?しんじられない、としばし彼のことを軽蔑する口調になった。

でも私にはそのクロアチア人の友人の気持ちがよくわかるような気がした。太平洋戦争の末期、私が19歳だったら神風特攻隊に参加してなんとか家族を守る助けをしたいと願ったのではないか、と思うのだ。それは今この現在の私からみれば実にばかげた命の捨て方である。犬死である。家族を守るのならば、家にはりついていればよい。しかしそれでも、19歳の自分がその現場にあることを想像すると、いてもたってもいられずに、特攻志願してしまうのではないかと思うのだ。間違っている、と考えるのは今、この立場にいる自分なのであり、環境と状況が違えば、自分はそうありうるかもしれないのだ。正当化するつもりはないが、それが生の戦争だ。

今、日本の自衛隊、北部方面隊の第二師団の自衛官はなにを考えているのだろうか、と私は思う。年明けにも彼らはイラクに上陸するだろう。しかし彼らは家族を守るためにイラクにいる、などとはとうてい実感することができないだろう。命令されるからイラクにいる。それだけだ。そして彼らを殺そうとして迫ってくるのは、かのクロアチア人の友人のような、イラク人なのだ。家族を守ろうと銃で迫ってくる彼らに、侵略者である日本の自衛官は銃を向け返し、発砲することができるだろうか。