世界を動かす石油戦略 

先日銀座「ライオン」にてid:svnseedsにもらった石油関連書物2冊のうち、さきに読め、との一冊。先の正月のあとしばらく石油の話題があったので、その続き。

全体的には、石油が市場製品か、戦略物資か、という問いの立て方がよく理解できた。筆者らは、石油はもはや戦略物資ではない、と主張する。このことはよくわかる。実際に、市場の再配分機能がさまざまな側面で発揮されている、ということが例を挙げて示されており、産油国と石油輸入国の二国間の関係で供給や価格の安定性が決定するわけではない、ということがわかる。70年代の石油ショック以降、輸送手段と備蓄設備が世界中に発達したために、石油はどこの国から来たか、ということがもはや問題ではない、ということなのだ。また、著者らが強調するのは、それぞれの国には石油戦略の立て方に目下矛盾する二通りが並存している、という点である。即ち、旧来の地政学的な発想で石油のぶんどり合戦をする、という意識から戦略を立てる、というありかた。二つ目は、市場商品であるからして、市場自体を保護するために、石油の供給と輸送を安定化させる戦略をとる、というありかたである。著者らは前者をナンセンスとして排し、後者しかありえない、と結論する。

私が思ったのは著者らの主張はいわば理想論だ、ということである。市場が市場として自由に機能するためには、安定した流通が必要である。石油を市場商品とするには、この前提条件が不可欠だ。確かに90年代は、流通が平和になおかつ迅速に行われていたかもしれない。しかし今は状況が違う。拙速な政策が実行されたために(e.g.イラク戦争)、石油が市場商品として世界を流通することができる条件は崩壊しつつあるのではないか。

ブッシュ政権が(不安定な独裁政権核兵器を所有し、テロリストがひしめくパキスタンにはまるで無関心なのに)イラクに関心を示すのは、この国が世界の原油の3分の2を埋蔵する地域の中心部に位置しているからだ。バグダッドは、石油の価格にも供給量にも影響を与えることのできる位置にあり、石油は戦略的商品として、世界経済と米国の軍事機構を潤していく。戦争に反対する運動では、この現実から短絡的な見方を引き出す者も多い。ワシントンは、米国の大手石油会社の利権に従属し、イラクの石油の一部を押さえようとしている、という見方だ。だが、現実はそれよりはるかに複雑である。(*1

で、いかなる戦略なのか、というと、

イラクは新しい油田を開発し、生産能力を急速に向上させ、可及的すみやかに世界市場に多量の石油を出回らせる。開戦前には1バレル30ドル前後で上下していた原油相場は急落し、1バレル15ドルを切るまでになる。そうすれば、米欧の経済成長が刺激され、石油輸出国機構OPEC)が崩壊し、「ならず者国家」(イラン、シリア、リビア)の経済が壊滅し、中東に「体制転換」と民主化の機会が生まれる、というシナリオだ。

この戦略はいわば、石油を市場商品として捉える見方からの戦略、といってもよいだろう。ロシアに対する油田開発面でのすりよりに関して考えてみても、米国の戦略に一貫性はある。もちろん、この戦略は経済成長という美辞麗句のみならず、もっと具体的に考えてみれば米国民が安いガソリンを買うことが可能になる、ということを目指しているのであり、安いガソリンの供給はすなわち、米国民の支持を得るための最重要ポイントである。このために、イラクの民間人が殺されても仕方がない、というのが米国の政治家が考えたことなのだろう。
しかしこのシナリオは失敗した。石油の価格を下げることはおろか、市場商品を市場商品として安定化することにも失敗している。

 もし、イラクの状況が現在のようではなく、サウジアラビアがテロに見舞われずに済んでいたら、原油価格がこれほど急速に上昇することもなかっただろう。治安が悪化し、石油施設の破壊が繰り返されるイラクの生産量は、戦争前の2002年の日量212万バレルから、2003年には133万バレルにまで激減した。2004年5月には230万バレルまで回復したが、1999年から2001年当時の水準には及ばない。
 その上、新たな油田を開発し、6年から8年かけて生産量を倍増させる目的で、失墜した政権が複数の国際企業と交渉中または締結済みだった契約は、ことごとく凍結された。世界一の石油輸出国であるサウジはといえば、主に石油化学コンビナートと産油地帯を狙った相次ぐテロ行為により、大きな打撃を受けている。
 こうしたテロ行為がサウジやイラクその他の湾岸諸国で繰り返されること、その結果として、かなり長期にわたって輸出の混乱や中断が生じることが危惧されている。1973年や1979年の時との大きな違いは、公式政府による禁輸の決定や(イスラム革命後のイランのような)政治体制の変化ではなく、顔の見えないグループによる予見できない行動に左右されている点である。さらに悪いことに、揺さぶりをかけられている現体制のもと、サウジが世界の石油需要に応じるという重責を今後も担い続けられるかは疑わしくなってきた。 (*2

イラクの生産能力は、1991年の湾岸戦争とその後の経済制裁により生産施設に大打撃を受ける前でも日量380万バレル、今では250万バレルがやっとでしかない。しかし米国の新保守主義者たちの思惑では、それを3年間で少なくとも200万バレル引き上げ、2010年には600万バレルとすることも可能である。とりわけ、イラク新体制が油田の民営化を決定し、生産能力増強に必要な技術と資本をもつ多国籍企業に経営を委ねるならば。
 ところが、2002年に新保守主義者たちがこの計画を提案すると、さまざまな反対が巻き起こった。彼らの提案する原油価格引き下げ政策は、「ならず者国家」の経済を危機に追い込むばかりでなく、メキシコ、カナダ、ノルウェーインドネシアクウェート、サウジなど、数多くの親米国家の経済をも脅かすことになるからだ。他方、イラクへの投資額は原油価格に左右される。価格が下がるほど、原油への投資から得られる利益も少なくなる。そのうえサウジの幹部は、声を大にしてOPECを守ると言っている。企業がイラクの新油田開発への投資など考えないよう、必要とあらばサウジの生産量を増やして原油価格を下げるという。皮肉なことに、在外のイラク反体制派も(新保守主義者と手を結んだイラク国民会議も含めて)、イラク石油の民営化には反対している。彼らはそれぞれの政治的立場にかかわりなく、多くのイラク人と同様に、イラクが真に所有する唯一の資産が石油であることを理解しており、その支配権を維持しなければならないと決意しているのだ。

これらのことが意味するは次のようなことだ。市場商品としての石油を安定化させるよりも、反米という形で中東のナショナリズムを煽ってしまったのである。すなわち、米国の行動は裏目にでて、地政学的状況を呼び起こし石油を戦略物資にしてしまったのである。というわけで、id:svnseedsがいう、まずは政治抜きで考えましょうっていうのもわかんないことはない。でもたぶんそれは911以前までの話だ。それだけでは不可能になりつつある、というのが私の意見。

次の点。石油の供給に関して、著者らは非常に楽観的である。技術的な発達により、石油は100年先まで供給できるとしている。しかしこれはそのまま鵜呑みにしてよいのか、という強い疑問が私には残る。中東油田の対抗カードとして同等かそれ以上のポテンシャルをもつロシアの油田を著者らは例に挙げる。しかしながら

ここ数年来、さらに重大な疑念を呼び起こしているのが、ロシアとOPEC主要国の確認埋蔵量に関する公式統計である。確認されたという埋蔵量が、独立した機関によって検証されたわけではないからだ。問題はその規模にある。世界の民間石油会社トップ8の保有量が570億バレルでしかないのに対して、OPEC諸国の国有石油会社トップ8の保有量6620 億バレルに達するとされる。サウジの油田の状態と、世界の石油のほぼ4分の1を有するサウジ・アラムコ社の開発力に関し、シモンズ報告書(2)によって引き起こされた最近の論争も、こうした不安をかき立てるものだった。

日本にしたってシベリアーナホトカ石油パイプラインももはや目前、みたいな話もあるが、私がいらぬ心配してしまうのは人のいい日本人が金だけ払ってなにもできない、というようないかにもありそうな事態。
また、石油を市場商品として流通させるためには、さまざまな地域における産油が必要な条件であるが、他のマイナーな産油国に関しても

ナイジェリアの石油生産は、民族紛争とストライキによって打撃を受けている。2003年にはベネズエラでも、石油産業を麻痺させたストライキのために、生産量が著しく低下した。

のような懸念がある。

他にも強調しておかなければならないことがある。2001年から2025年にかけ、世界的に需要が高まる一方で、埋蔵量と先進国の生産量は減少するだろう。その結果、代表的な大量消費地だけを見ても、輸入依存度はアメリカでは55.7%から71%へ、西ヨーロッパでは50.1%から68.6%へ、中国では31.5%から73.2%へと上昇する。このように、エネルギーという死活的に重要な分野における輸入依存の増大が、「石油をめぐる戦い」を引き起こした。大国とその石油企業が中東、アフリカ、中央アジアの埋蔵石油の支配をめぐって争っている。今回のイラク戦争のことは言うまでもない。

石油需要の増大率に対して石油供給増大率が反転する、というかつて私がここでも引用した未来の可能性は払拭されたわけではない。

*1:「石油のための戦争」はどこまでほんとうか ヤーヤ・サドウスキー(Yahya Sadowski)ベイルートアメリカン大学準教授 http://www.diplo.jp/articles03/0304.html

*2:石油価格と地政学、そして需給バランス ニコラ・サルキス(Nicolas Sarkis) アラブ石油研究センター所長 雑誌『アラブの石油と天然ガス』発行 http://www.diplo.jp/articles04/0407-3.html

消費と平準化 続き

慧眼。
id:hizzz:20040726#p2

こーしてアバウトに見てみると第二次大戦以降わかれた管理的社会科学主義システムとアメリカン・ウェイ・オブ・ライフは、ひょっとしたら「標準化」という観念の表と裏でしかないのではないかな。

ソ連(ロシア)人とアメリカ人って、往々にしてガサツ・よれよれの服という点がよく似ている。ウォッカとウィスキーの違いはあるけれど。

食事も生活エネルギー供給のひとつと考えれば、スーパー&コンビニ&100円ショップの立地条件はライフラインとして重要になる。
身もフタもない言い方をすれば、慈善と平等と自我意欲に燃えた家政学は、家事合理化のハテの家事労働の消滅=TVディナー&個食に結実する。家庭から「労働」を追放して、さてナニがのこったのだろうか。労働を商品として消費するユートピア、答えは「余暇」である。

ウィーンのカフェの発達はそもそもが暖房費の節約で朝っぱらからカフェにいっていたからなのだそうだ。余暇を駆ってカフェはコミュニティとして発達したが、コンビニはどうもそうでもなさそう。生産は極小に、消費は極大に、という豊かさが本来であるはずと私は考える。というよりも私はそうありたい。平準化は消費速度だけを効率化している。なにしろコンビニエンス、なのだから。ああ、ここでも私は何か、人質にとられているような気になる。「国を想う、国を創る」というスローガンを聞いた瞬間に、およよ、と困った。私の祖国愛が人質になったから。コンビニでは何が人質になるのか。たぶん二日酔いの頭痛だ。私はポカリスエットを求めてフラフラとコンビニに紛れ込む。