トゥルク・フィンランド
最初にトゥルクに来たのは2007年だった。60人乗りの小さなプロペラ機で到着した飛行場でスーツケースが出てくるのを待つ。ベルトコンベアがぐるっと回っているその真ん中に、巨大なムーミンが手を広げて立っている。そういえば5年前も4年前もこのムーミンは同じ格好で立っていたよな、と思い出す。やがて出てきたスーツケースを持ってタクシー乗り場に向かうとこれまた以前のように、タクシーがいない。なにしろ待っているタクシーはいつも数台しかいないのである。私より先に出た他の乗客が乗ってしまって、次が来るのをまたなければいけないのだ。
まあ、そのうちやってくるだろうと、やたら静かな田舎の駅のような飛行場の軒先のタクシー乗り場のベンチに一人で座る。大きな虫が何匹も北の短い夏を生きいそぐような凄まじい勢いで飛び回っている。こんなでかいのに刺されたら困るな、と思いながら電話を取り出してホテルの予約の確認などをしているうちに、もう一台のタクシーがやってきた。
街へ向かう道のりはどこか見覚えがある。二度も通ればなんとなく覚えているものだ。街のはずれにさしかかり、あっ、と思った。街のはずれにある、遠距離バスのターミナル。楕円形のきれいな建物がチケット売り場で、彼女が気に入って何枚も写真をとっていた。あの建物だ、と思い出す。2007年の夏、今回と同じくトゥルクの大学院生に向けた講義と実習で私は初めてこの地を訪れ、仕事が終わる頃に彼女はやってきた。一人で街の中をあちらこちらを彼女は探検した。仕事が終わった次の日、このバス停につれてこられた。これだというバスに乗り込み、はるか遠方のアルバー・アアルトが設計したというパイミョオのサナトリウムを見物に行ったのだった。キオスク兼食堂があるだけの終点でバスを降り、そこからタクシーで森の中にあるサナトリウムに向かった。真っ白なファサードが眩しかった。
彼女が残した写真はたくさんある。なんらかのデザインを撮影したものばかりである。次々と眺めていると、彼女がなにを大切にしていたのか、なんとなくわかるような気がする。トゥルクのバスターミナルは、彼女がなんていっていたのかも思い出すことができる。「このまるっとした感じがきれい」。まるっとした感じ、かあ。と私は2012年の今、つぶやいてみる。
トゥルクでいつも逗留するホテルから通勤していると、あちらこちらに彼女の影を発見する。あ、そういえば、あそこのイッターラのアウトレットの店がいい、っていっていたよな。
あの教会には先に彼女が行って、おもしろいから中を見なよ、と勧められて二人で見に行ったよな。
この図書館には入り込んでみて、片面が前面ガラスになっていた。光がきれいだねえ、とため息をついた。
川岸のレストランでは、店から流れ出るにんにくの香りにふたりとも気がついて、次回来たときにはこのレストランだなあ、と、どちらからともなく話した。
街の中にどこにでもある「ヘスバーガー」というファストフードの店。まずそうな店の名前だなあ、といいながら、なんか笑ったような気がする。なんで笑ったのかどうしても思い出せない。そう思っていたホテルでの夜、スカイプでドイツにいる無珍先生と義理の妹と話した。「街中にヘスバーガーってのがどこにでもあるんだ」と話した。義理の妹は言った。「モスバーガーみたい、あはは」。そうだ、彼女も「モスバーガー」ってまぜっかえして笑っていた。さすが姉妹だ、と私は妙に感心する。
シベリウス・ミュージアムの横を通り過ぎる。2007年、招待してくれた教授がシベリウス・ミュージアムで開いてくれた教授の娘の小さなピアノコンサートでは、シベリウスの曲を披露してくれたその小さなピアニストと並んで座って彼女はなにやら話し込んでいた。
教授の娘は今や18歳の北欧美人になっていた。半年ほど政府の助成を受けてシカゴにピアノの勉強で留学して帰ってきたところだという。トゥルクから一時間離れた、古い農家を改造したレストランで、再び小さなコンサートが開かれた。彼女はアメリカの曲と、フィンランドの古い民謡を交互に弾き、ドビュッシーのアラベスクを弾いた。20時半なのに美しい日の光のなかで、白いドレスを来た美しい娘が奏でるメロディーを聴きながら私は夢を見ているのかもしれない、と思う。
すごかったね、いや、ほんとに素晴らしかった、と教授の娘にお礼を言った。にこっとしながら、ありがとう、と流暢な英語で彼女が答える。黒いリボンを腰に巻いている。「ピアノのブラックベルトだね」というと、彼女は声をあげて笑った。