今頃は日本にいる予定だった。無珍先生が先週からひどい咳をともなう病気になって、何度か医者に診てもらったのだが、飛ぶ予定の8時間前に念のため診察してもらったところ、長時間のフライトにはリスクがある、とフライトの変更をすすめられた。ヘモグロビンの飽和濃度を調べる簡単な機械があるのだが、それでチェックしたところ通常よりもかなり低めで、咳がひどいとそんなことにもなる、という。飛行機の中の酸素分圧は地上と少々異なるので、それが無珍先生の容態にどのように影響するか予測不能、なのだそうだ。CRPもチェックしてもらったが、こちらはクリア。なんらかのウィルス感染である。

そんなわけでいそぐ旅でもないので飛行機を三日ほどずらした。パッキングなどすべてすんでいるし、仕事の方も一応いろいろカタがついているので、焦ることもない。そもそも、すでに休暇に入っていると仕事関係の人は思っているから、連絡もこない。そんなわけで、無珍先生の治療以外は妙にエアポケットのような時間。中国のサイトにアップロードされるドラマなぞをひさしぶりに見たりする。で、医龍

医龍2は死んだ彼女と見た。よく覚えている。彼女自身も妊娠していたので、最初の重いテーマ、自分が死ぬか胎児が死ぬか、というテーマで彼女は自分が死ぬに決まってるじゃーん、といっていた。まったくそうした選択とは関係ないが、彼女は子供を産んで二ヶ月後に死んだ。あらためてドラマの最初の方を眺めて、それを思い出した。

医龍3を見た。すぐに気がついたのは、カットの少なさ。2の軽快な切り替えは消え、代わりにテーマの重さを言語で強調する内容が続く。ドラマとしては退化。金がないんだね。ドラマの予算の激減を伺わせる編集だった。内容は手術の術式がますます複雑化。

今回一緒にみていたのは死んだ彼女の妹。オペ看護婦の恐るべき厳しい世界の話をきいた。ついでに「医龍」のオペ看がかならずなで肩なのには理由があるのだろーか、という話をした。看護婦というとあんなイメージなのかな。

集中治療室の場面などで、さまざまな医療機器が出てくる。以前見た時と違うのはいちいちその用途が具体的にわかること。看護士の手が空かないときには、代わりにやってくれと頼まれて、機械の簡単な操作を私もしたりしていた。ドラマの映像を眺めてそうした経験をいろいろ思い出してしまうのは少々つらくもあるが、それよりもなによりもなんというか、懐かしい。ひどく悲しくつらい体験だったが、その体験を共有できる人はなかなかいない。ドラマは架空の話だ。であってもそこには私が共有しているなにかがある。