歴史認識・デリダ・ハーバーマス

合意形成の話はひとまずおいておいて、そもそもの問題の起点にまたもどる。「デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる/言うということはデリダを裏切る」という東浩紀氏発言について昨年にひきつづきいくつかリンク。

ハーバーマスデリダのヨーロッパ 三島憲一 (PDF 早稻田政治經濟學誌No.362,2006年1月,4-18)

90年代のデリダハーバーマスの対立の経緯、および00年代になって収束した対立について詳しく書かれている。これを読んでみると、東浩紀氏が自身の歴史認識のありかたをデリダを通ったせいにするのは誠意がないなあ、と思う。少なくとも「80年代のデリダを通過した私には」ぐらいに限定したほうがよいだろう。冒頭に掲げられたデリダの言葉を眺めるだけでもよい。

「しばしば,この脱構築の時代と啓蒙とが対置されることがありますが,それは違うのです。私は啓蒙の味方,進歩の味方であり,􌔗進歩主義者> です」。

なお、『リアルのゆくえ』で生じた歴史認識の問題点は次の部分をみると、デリダハーバーマスの論争という歴史からすればすでに決着がついているのだろう。もちろんそこにヨーロッパ、という固有性はあるのだが。

ドイツと違って共産党の強かったフランスでは,古典的左翼に対するある種の自己嫌悪が文化的左翼にあまりにも強かったために,直接的な政治図式にはまることをデリダが長いこと回避したからである。さらには,モダニズムの芸術における言語経験などを過度に重視し,通常の生活のなかでの言語活動の意味をあたかも「非本来的」として蔑視しているかのごときところがあるからである。そして,ハイデガーの衣鉢をついで西洋の基本概念の解体ないし脱構築をはかるところでは,ある種の哲学的高慢が見える。歴史は哲学的概念が作ったのではない。こうした哲学的=特権的態度は,対話の対等性の条件を追求し,可謬主義を重視するハーバーマス的立場とは相容れない。また,デリダの概念戦略は,結局のところlinguistic idealismの罠に迷い込む可能性が高く,それが哲学的高慢と断定調の文章に帰着するのだが,それについてもここで述べている余裕はない。

00年代のデリダハーバーマスの和解を象徴する出来事は、イラク戦争勃発に際して発表された共同署名の新聞(FAZ)の論説。上の三島さんの文章では、『われわれの刷新。戦争が終わって。ヨーロッパの再生』というタイトルになっているが、雑誌世界に掲載された和訳の方の題名は 『われわれの戦後復興―ヨーロッパの再生』。ヨーロッパに長いこと住んでいる私のような人間にとっては実に心を揺さぶられる内容で感動的でさえある。この記事、年末にhizzzさんがデリダとハーバーマスの共同署名記事に触れていたので、こりゃ重要、と思いつつドイツ語の原文などをさがしてブックマークしていたらこれまたありがたいことにhizzzさんが収納箱から記事の和訳を探し出して翻刻してくれた。多謝。下記にドイツ語のリンク、翻刻のリンクを張る。2003年の緊急声明だが、ガザにパレスチナ市民をロックアップして空爆したり戦車で砲撃したりしている今でもこの文章は生きている。ゼロ年代、とは本来このアクチュアリティでしかない。