葬式

ドイツにきたばかりのころ知り合った友人が若くして急に亡くなったので遠方まで葬式に。全身芸術家で三島由紀夫の生き様に傾倒し、ブリティッシュパンクを崇拝し、凄絶なほどのジャンキーだった。いろいろな薬を人体実験のように注入しているのになんでこんなに肌つやがよいのだろう、と思っていたのである日きいてみたらニヤニヤしながら「朝鮮人参酒だよ」などと答えていたのはたぶん10年ぐらい前だと思う。幻覚を見て「さっき天井の隙間からのぞいていただろう、うそをつくな」といった電話がかかってくるようになってから、この数年は体を壊して入退院を繰り返し、大腿骨が両方とも壊死、すでに人工の骨が入っていた。お別れの会が催される居酒屋のカウンターでコップ酒をくいっと煽る友人の横顔を思い出す。「なにその服。あのさ、学者だったら学者らしい格好してよ。人が期待する格好をするのもサービス、っていうかやさしさだよ」と酒の席で私に何度も苦情を述べたのも思い出す。お別れをするために旅する私の今日の服装ははたして彼の望むところなのだろうか。かつて一緒に何度も飯をくわせてもらった和食屋のおかみさんの誕生日に、彼がユリの大きな花束を抱えて現れたのを思い出した。幸いなことに駅の花屋が開いていた。ユリのはなたばをぶらさげて私は葬式に向かった。