中学教師
後輩がちょっと会って話してやってくれ、と頼んできたので、日本の公立中学の教師で、目下日本人学校に派遣されている若い人にあって散歩したり夕食を食べながら半日おしゃべりした。雑誌やネットでその様子を知ることはできるけれども、新任から5年、悪戦苦闘してきたそのディテールをことこまかに聞いたのは実にはじめてなので、とてもおもしろかった。また、日本人学校での教育に関しても、自分の二十年以上前の補習校経験と比較しながら、あー、先生の立場ってこんな感じだったのだろうな、といろいろなことを思い出した。
日本の公立中学の問題に関しては、机を投げつけられて、打撲ではなくどうせなら骨が折れれば傷害で訴えることができた、とかストレスでこんな病気に、あんな病気に、などなかなか過激な話があるものの、だったらなぜ教師を続けているのかということをきくと、小さなことで生徒に「ありがとう」といわれたときのうれしさや、渡航寸前に海外派遣をうちあけたときにくちぐちに「ありがとう」ではなく「いままで迷惑かけてごめんなさい、なんでもっとはやくいなくなるっていってくれなかった」とくちぐちに言いながら泣いた話や、行事を成功させたときの達成感の話など聞いていて、おー、やっぱり人間ドラマが濃い仕事でそこがおもしろいのだなあ、と思った。生徒のいろいろな話とを聴くと思わず笑ってしまうような話が多く、激務だし教育行政からして問題山積みだけど現場の教師たちはこうした生徒との感情の深いやり取りに支えられているのだろうな、とつくづく思った。
また一方で、日教組のかなり頻繁な動員の話などをくわしく聴いて(選挙のときにはリストを渡されてつぎつぎに電話しろ、と命令されるのだそうである)、労働組合としての横のつながりが、縦方向の動員に阻害されかえってダメになってしまっているのではないか、などと思った。政党と関係なくていいから、ローカルにでも労働環境をよくするような組合があったほうがいいんだろうと思う。
日本人学校の話は悲惨な話が多かった。きわめて閉鎖的な空間のよどんだ人間関係ということで、海外駐在の日本企業の問題とよく似ているなと点は思った。ただ、教師の場合大変なのはスーパーで生徒の親に会えばじろじろと買ったものをチェックされ、男性と食事すればそれだけで噂が次の日にはもちきりになるという注目を浴びる立場だけに、ただでさえ閉鎖的な空間からますます出なくなり、週末も閉じこもるというような状況なのだそうである。ご苦労なことである。職場の陰鬱に拍車をかけて実に滅入るだろう。教師の環境がこんな状況でいいはずがない。
教科の話でトンデモだな、と思ったのは、日本のカリキュラムのディテールをそのまま教えることになっているので、社会科とか理科が大変なことになるという話。ホウセンカを育てるという授業をヨーロッパでやっても、そもそも育たないというようなことなのだが、やはりホウセンカを使わねばならなくて芽がでない、とか、太陽の方角を測定する、というような授業は曇ってばかりいる冬の西ヨーロッパでは不可能、とか(ほとんど笑い話である)社会科見学をしようにも、先生自身現地の言葉をできないので、どこにも行きようがないとか、文部省の杓子定規な決まりの弊害にさまざまな形で直面しているようで、このあたりせっかく海外にいるのだから、海外における自分のアイデンティティみたいなものをちゃんと考えさせるような授業を組んだらいいのではないか、と思った。プラスチックで包んで直輸入した日本の授業を海外で行っても、数学や国語はいざしらず、社会科や理科は決定的にリアルさにかけてしまう。
私の場合は平日は現地校、土曜だけ日本語補習校だったが、教師が日本からの派遣ではなく、教員経験のある主婦、大学づとめの助手とかポスドクがアルバイトで授業をしていて、日本の公立学校のカリキュラムとはずいぶん異なっていたけれどとてもおもしろい授業をうけたな、と思っている。たとえば地理と日本史を教わった先生は、国際政治が専門の大学の先生だったが、教科書無視でいろいろな詳しい話を次から次へとするので、毎回授業が楽しみで仕方がなかった。