バーベキュー

夏になるとヨーロッパの人々はやたらとバーベキューをしたがる。週末になるとバーベキューやりまーす、ぜひご一緒にという具合のメールが舞い込んできて、またかよ、と思う。友達には会いたいのでしぶしぶ会場に赴く。煙たなびく会場に到着し、さあさあ、と紙の皿をおしつけられ、ビールはいかが?と生ぬるくなったビールを与えられる。うへ、ぬるい。トム・ウェイツの歌"Warm beer, cold woman"などを哀れっぽく口ずさみながら座る場所はないかと探すが希少なるいすはすべて占領されしかたなく立ちんぼ。野外で飯を食うのは野蛮人であると私は思う。露天で火をおこして肉を焼き、グリルをかこんでガツガツと生焼けの肉を貪り食う、ビールを瓶のままあおってガハハ、外で食う肉はうまいのお、そおだのお、である。ああこの肉片、台所で料理したほうがどれだけ美味いのに、と切れぬプラスチックのナイフでごしごしと肉を断片にしながら私は何度も思い、しかたがないと地べたに座れば腰が痛くなり、蚊にさされてなんでこんな惨めな食事をしなくてはならぬのだ、と談笑しつつも不快感はますますつのる。日本の花見を見習え。
どの文化にも絶対に正しい、この点不可侵であるとされる行為がある。欧米においてはバーベキューだ。バーベキューが嫌い、などといえば、宇宙人にでも出会ったような顔をされる。しかしながら野外で飯を食うというのは、屋内で飯を食う機会がないためにしかたなく選択する行為であるという私には当たり前であると思われる気分がどうしてもぬぐえない。20のころの私は一年のうち100日近く寝袋屋外で寝ていたという記録が私の手元にある。したがって屋外で調理摂食を行うことも多く、通りすがりに立ち話した農民に恵んでもらったブロッコリを灯油のラジウスコンロで茹でてマヨネーズをかけて食べるという一夜をすごしたこともある。しかしながらそれは野外を放浪したいという野望のために仕方がなくそうなったのであって、わざわざ屋外にでかけて調理摂食をするというコンセプトではない。事実私は路上で寝ることがあってもなるべくならば銭湯を探し、なるべくならば食堂でさんまの開き定食などを食べようと努力した。深夜の店舗の軒下で盗むように寝ることになっても刺身に酒、というわけで居酒屋に赴いた。これが文明、文化というものだ。かくなる立場からすれば屋外摂食、バーベキューへの欲望はやはり理解不能である。キミタチ、なにかが足りないのでは。