研究所までの道は山道だ。このところ新緑が美しい。けさの通勤中、運転をしながらその目にまぶしいような緑をながめながら”木の芽どき”という言葉を思い出した。色気のある言葉だ。とある春の宵茶懐石の職人である知人が酒をのみながら女性の話をし、話が途切れてしばし黙ったのちに「…木の芽どきやね」と照れ隠しに言っていたのがどうにも思い出されてしまったのだった。

アメリカ人の女が今日はすごいミュージシャンが来るから、というので半ば引きづられる形でラテン系のクラブに連れて行かれた。お目当ての男がいるとかで、あの人よー、とはしゃぐ彼女を横目にビールを飲みながら見事に踊る男女を眺める。黒人の男と白人の女が恐るべきリズムを恐るべきバックビートで踊りこなす様をうっとりと眺めながらなんでこのクラブに今までこなかったのだろう、なんかこのカップル、ピカソのあの絵みたいだ、とここにこなかった理由をうっとりと考えていた。そうこうするうちに、あちらこちらに知り合いが出現し始めて、踊りたそうな顔をしている友人の女達のサルサだのメレンゲに付き合い、へろへろになった明け方に再びビールをカウンターで飲んでいたら私をここに連れ込んだアメリカ人の女が再びやってきた。だめみたい、二度も頼んだのに他の女と踊っている。ため息をついて勝手に私のビールを飲んでいる彼女に、アメリカの女の子同士とヨーロッパの女の子同士の付き合い方の違いについて説明した。アメリカの女の子達って、チア・リーダーみたいに結束しているででしょ、アメリカの女の子達って仲間じゃん、だけどヨーロッパの女の子同士って、みんな敵なんだよ、といった。あの男と踊っているあの女は、仲間じゃなくて敵なんだ。その23歳のアメリカ人の女はえらく納得していた。そうなのよ、下着売り場でね、アメリカだったら知らない人にこのブラどうかしらって、隣の人に聞くんだけど、ヨーロッパではどうもダメみたい。聞いても無視される。敵なんだ、そうなんだ。というわけで私は帰るのでと断ると、彼女も帰るという。上着を彼女に着せて、家まで送った。でもさ、だったらあのオーストリア人の監禁変態ってなんなのよ、という彼女にあれはきちがい、国は関係ありませんなどと説明し辞去したのちに、家に帰って服を脱ぎながら、いろいろな香水の香りが立ち上り今晩踊ったそれぞれの女のことを思い出したのだった。

木の芽どきやね。