チベット騒動を受けた中国当局の情報統制の私的記録

チベットで起きている反乱・独立運動に関するニュースは10日前の日曜日から眺め始めた。スイスの宿泊先でCNNを眺めたら、オレンジの僧衣をまとった僧侶や、東アジアの若者たちが路上で暴れている様子が放映された。あ、オリンピックのせいか、とその瞬間に私は思ったのだが、そのまま見続けていてもなかなかなにが起こっているの詳しいことがわからない。以後ニュースを追ったりしていたのだが、情報統制の厳しさと、いかにもプロパガンダでございますという新華社の報道ばかりが伝わってくる。ネットではYoutubeをはじめとして規制が入り、西側報道陣はチベットを中心とする区域から早々に放り出された(*1)。12日からの公式の取材許可を偶然得てラサに滞在していた唯一の西側ジャーナリスト、ザ・エコノミスト誌のジェームス・マイルス記者のレポートを、世界の報道陣は固唾を飲んで待っていたが、そのレポートアは反乱が突発的に拡大したものではないか、という見方を補強したのみで、現場のチベットの人々の声をつたえたり、軍の動きを独自に取材することもなく期待はずれに終わった(*2)。なお、マイルス記者は取材期限が切れた19日に素直に北京に戻ってしまったので(*3)、西側報道陣はチベット及びその周辺の封鎖地域には存在しないことになった。こうした西側報道の排除に並行し、ネット上には中国系ネトウヨの「西側の報道はバイアスがかかっている、お前らは洗脳されている、本当の中国を知れ、チベットは中国なのだ」というあまたの英語メッセージテンプレがあふれた。それを眺めるたびに(*4)、んなこといったってそもそも情報が入ってこないんだからバイアスもなにもあるかよ、と私は思ったりしていた。公式発表の死者数は中国側とチベット亡命政府側では食い違っているが、実際にどの程度なのかはいまだ分からない。中国の国外にいるチベット人組織を通じてもれ聞こえてくる情報によれば虐待と殺人を含む警察・軍隊による制圧は進行している。また辺境で行われる粛清は外部に知られることは難しいだろう。89年の天安門事件の時のようにその実態はかなり時間がたってからしかわからないのかもしれない。かくなる状況下で報道関係者が怒るのもいわば当然のことかもしれない。ヨーロッパではイースター連休の最終日24日には「国境なき記者団」(フランス人が主体)の代表をはじめ3名がギリシャでのオリンピック聖火の点火式で手錠をオリンピックの5輪にみたてた旗でデモンストレーションを行った(*5)。その日の夜国境なき記者団のスポークスマンがCNNでキャスターのジム・クランシーにインタビューを受けているのをみたのだが、ジム・クランシーが「ジャーナリストが事件を起こしているのは妙じゃないですか、自分で記事を作っているみたいで」と意地悪な質問をしていた。しかしながら上記のような報道統制・排除に対して記者が身を挺して抗議するのは当然ではないか、と私は思う。さもなければ記者のレゾンデトルは無きに等しい。ちなみにデモを行った記者は懲役一年の予定だそうである。情報規制は25日から26日にかけて緩和した。YoutubeBBCなどのウェブサイトには中国からその一部にアクセスすることが可能になった。また、27日には制限はあるものの中国当局の主導で選ばれた海外報道機関が三日間という限定ではあるが騒動が起きてから初めて公式にラサ入りした。規制が緩んだ理由を知ることは不可能であるが、中国以外の報道機関・ネット言論であまりにも評判が悪かったこと、聖火点火式でのデモなど、その影響が大きいことに中国当局が対処したのではないか、と私は思っている。