実践あるのみ、というか。

例えば、最近ニューヨークに移住した友人と、格差社会における持たざる者の相互扶助の重要さと、ボランティアの根付き方の日米の圧倒的な違いについて話していて、「日本では、地縁血縁や同郷出身であれば扶助するが、まったくの赤の他人に手を差し伸べるのは何やらむしろ失礼、というような考え方があるような気がする。地域共同体がすでに解体している状態でこれではますますヤバい」「なんとなく孤立している人たちの方にも、「自分の方から物欲しそうに他者にアピールするのははしたない」って感覚が、歴史的な美観として根付いてたりするから難しい」といった話になったのだけれど、僕たちはこぼれ落ちないよう日々努力しながら、同時に切り捨てているものや、こぼれ落ちるもの、つまりこうした生き方の限界を意識するよう同時に努力するしかない。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20071224#p1


わかるなー。4年前に同じようなことでflapjackさんのところで議論した。
http://d.hatena.ne.jp/flapjack/20031211
コメント欄とか。このときにカンリョーって絶望的と思ったものだ。なお、このときの議論は気分のうえでは私の中でまだ継続している*1

隣にいる人間が困ってれば助ける、なぜなら、お互い様だから(ここが重要、「情けは人のためならず」の本来の意味だ)、という考えが今の日本で広まらないということは、共同体への危機意識もまだまだ、ということなのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20080119#p2

目の前で餓死者が出ても危機意識がないのだから、ヤバイと思う。

http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20071209/p2
このテキストはジャーゴンだらけだが、私からしたら別の角度からの同じトピックへの言及。

*1:関係ないけれど、4年の間にブログ空間はこういった議論をする場ではなくなりつつあるなあ、と慨嘆。