玉砕から自決へ

lovelovedog 氏のキーワード「集団自決」のこの編集はいかがなものか?@捨身成仁日記
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20071012#p1

集団自殺”ないし、”集団自害”であれば私の記憶の中で強烈なのが沖縄の話に加えて、ジム・ジョーンズの教団が行った薬物による集団自殺。それがキーワードの説明に含まれないのはおかしいよな、などなどと最初になんとなく思った。そのような第一印象でキーワードの編集過程を眺めはじめたのだが、集団自決という言葉が戦後に沖縄の民間人が『玉砕』したことをさして創作された言葉である可能性がある、ということを知り、これは確かに詳しく書く必要があるかな、と思った。
広辞苑の「自決」の定義は 1、自ら決断して自分の生命を絶つこと。2、self-determination、 他人の指示を受けず自分で自分のことを決めること。』だそうだから、自殺という言葉の社会ないし共同体に追い詰められたニュアンスよりも、より個人の意志的な意味合いが込められる。したがって、「沖縄のみなさんは勝手におのおのが判断して自殺した」というニュアンスが生じることになる。当時使われた『玉砕』であれば、20世紀のコンセプトである総力戦の中でも稀有にラジカルな「一億火の玉」の帰結として天皇の名の元に行われた行動、ということになるが、戦後に『玉砕』を『集団自決』といい換えたならば、その操作を行った人間が自殺は島民の自己責任だった、という意味を付与したことになる。
いずれにしろ、ゼームスさんと、愛蔵太さんは編集合戦するんじゃなくて、別の場所で少々議論する必要があるのではないか。
それにしても

1982年 文部省・教科書検定により『島民虐殺』を削除し『集団自決』のみ記載することを決定。
2007年 文部省・教科書検定により『集団自決』を削除することを決定。

といった経緯をこのところ知るに至ったのだが*1、このことを考えたら、玉砕が集団自決に言い換えられた過程はもうすこし詳しくしりたいし、操作が事実であればの歴史修正の一例に加えられるべきだろう。

参考

1980年代の教科書裁判
 沖縄戦についての教科書叙述がはじめて大きな問題になったのが、1982年の検定だった。このとき、高校日本史において、江口圭一氏が日本軍による住民殺害について記述したところ、検定意見がつき、結局、削除せざるをえなくなった。この検定について沖縄のメディアが問題にしただけでなく、沖縄県議会は全会一致で、「県民殺害は否定することのできない厳然たる事実であり……、削除されることはとうてい容認しがたい」とし、「同記述の回復が速やかに行われるよう強く要請する」という意見書を採択した。その結果、その後は日本軍による住民殺害の記述が教科書に載るようになった。このころより一部右派グループから、住民殺害や集団自決の強要を否定する声が出ていたが、党派を超えた沖縄の一致した声の前に、ほとんど影響を持つことはなかった。
 その後、1984年に家永三郎氏が第三次教科書訴訟を提訴した。その中の一つの争点が沖縄戦における「集団自決」であった。日本軍による住民殺害の記述に対して、国側は、犠牲者の多かった集団自決を加えるように検定意見を付けてきた。1988年に裁判でこの点が取り上げられ、沖縄出張法廷まで開かれた。国側は曽野綾子らを証人として出し、「集団自決」を日本軍による犠牲としてではなく、国のために自ら殉じた崇高な死として描こうとした。つまり住民殺害を削除できない代わりに、国家への崇高な死を書かせることにより、日本軍の加害を薄めようとしたのである。このときも「集団自決」の命令の有無をめぐって論議があったが、家永側からは沖縄戦研究者の安仁屋政昭氏や、渡嘉敷島の「集団自決」から生き残った金城重明氏が証人に立ち、曽野が取り上げた渡嘉敷島ではあらかじめ日本軍の兵器軍曹から村の兵事主任を通して役場職員や17歳以下の青年を集め、手りゅう弾を一人2個ずつ配り、いざという場合はこれで自決せよと命令していた事実が示された。そうしたことに国側の証人は何も反論できなかった。ただ判決では、集団自決を記述せよとの検定意見は違法とまでは言えないとして家永側の敗訴となったが、事実関係については家永側の調査研究が明らかに勝っていた。

「集団自決」か「集団死」か
 この一連の教科書問題を通じて、「集団自決」という言葉そのものに問題があると指摘され、それに代わって“日本軍に強制された「集団死」”という言葉を使うことが提起されるようになった。「集団自決」という言葉は、戦争中から使われていた言葉ではなく、先に紹介した『鉄の暴風』で使用されて以来、使われるようになった。「集団自決」という言葉を使わないように提起している人たちは、「自決」という言葉には住民が自ら進んで命を絶ったという意味が込められており実態とは違っている、巻き添えになった人たちもいるし、特に子どもはみずから決断したわけではない、またこの言葉を使うことによって国や右派から、国のために自ら犠牲になったという殉国美談に解釈される余地を与えたという批判がなされている。
私はその批判は理解できるが、ただ「集団死」ではあのような事態を表す固有の表現とは言えないのではないかと考えている。沖縄戦のなかで、投降しようとして背後から撃ち殺されたり、ガマの中で泣く子どもが殺されたり、日本軍による住民虐殺があちこちでおこなわれたが、「集団自決」の場合、日本軍に殺されたそのようなケースとは違って、自らが死ぬことを納得させられ(死ぬしか選択肢がないと思い込まされ)住民同士で殺しあうという状況になった。つまり大人たちにとっては「自決」という形(肉親に自分を殺してくれと頼むことも含めて)をとらざるを得ないような状況に追いやられた。そうした状況を表現する用語として「集団自決」は、事態の重要な側面を表しているのではないだろうか。人々をそうした状況と意識に追いこんだものこそが問題なのであり、その点にこだわりたいと考えている。

沖縄戦の実相―「つくる会」による改ざんの動きをめぐって 林 博史(2006/1, 07/03一部改定)より

多数決をもじって、多数自決、とでもいえばいいのか。「自決を促す」「しかたなく自決」「強制自決」といった言葉を考えれば、こういった語義矛盾そのものが沖縄の状況だったのだろう。

*1:id:buyobuyo:20071011#p2、id:Apeman:20071011:p2