従軍慰安婦問題のひとつの解決法

07年4月14日の従軍慰安婦に関する記事にOdakinさんがコメントをしてくれて、私なりの回答をしたのだけれど、永井さんがより詳しい回答をしてくれています。そのやりとりをながめていて、ああ、なんかすれちがいがあるのだなあ、と思って25日に「フクザツな問題をめぐって」でそのことを書こうとおもっていたのだけど、おお、やはりフクザツということでうっちゃってありました。今の時点でわすれないうちにこれがポイントかな、と思った点をちょっと書いておきます。
まず第一の点は、「慰安所の設置主体は軍。ゆえに強制売春の主体も軍。」が妥当な歴史の解釈だろうと判断しています。
第二点ですが、第一点に関連します。Odakinさんや、他にもネットでみかける意見は「そりゃ日本だけではない。ドイツにも慰安婦施設はあったし、米軍だって似たような施設があっただろう、だとしたらなぜ日本だけが悪者にならねばならぬのだ」という意見です。
Odakinさん(14日付コメント欄)

日本に対する際には(いきなり「身売りせざるを得ない状況を作った」とかいう線まで)思いっきり広く責任を設定して(上でいう後者の立場)、他国に対しては売春施設の設置に国が関与したかどうかだけ見てそれ以上は不問にする(上でいう前者の立場)、という英米系メディアのプロパガンダの片棒をかつぐ事に、結果としてなっているように見えます。(というかそもそも、売春所の設置に国がなんらかの関与をする例って本当にそんなに少ないんですか?例えば朝鮮戦争では米韓軍は慰安所設置したのでは?)

第三の点はこうした”不公平感”とも少々関連するかもしれませんが、事実誤認の可能性に対する指摘です。米英メディアで報道される従軍慰安婦に関する情報が、誇大なのではないか、という点。

何も知らない人が読んだら「奴隷狩り的に集められて売春なり性交を強要され」た人が数万人〜数十万人いた、としか読み取れない記事を書いているのは、私ではありません。米英メディアです。Google News とかで読んだらいくらも出てきますよね。単なる無知でそう書いてる場合も多いように見えますので、このへんは世界一実情を良く知っている一人である永井さんが啓蒙活動をしてくれたらなぁ、と思いますが、そんな事やってる暇はないのでしょうね。

南京大虐殺で何人人が殺されたのか、30万人なのか数千人なのか、という話と、構図はよくにています。
第二点や第三点の問題は、従軍慰安婦の問題というよりも現時点の問題で、米議会が非難の決議をすることに対して日本がいかなる態度をとるべきか、という状況から生じている問題だと思います。批判に対して「おまえだってやってるだろ」あるいは「でっちあげの数字でなにを申す」というような感じだと思います。
とはいえ、「おまえだってやってるだろ」といったからといって、第一の問題は消えてなくなるわけではありません。あるいは、同罪だからあなたたちに我々を非難することはできない、という論理もあるのかもしれませんが、だとしたら人権に対する意識の後退以外のなにものでもないと私は思います。これは私が、従軍慰安婦に関する論争を国と国との争いとしてよりも、人権侵害の問題としてとらえているからそのように思うのかもしれません。アメリカが日本を非難している、というよりも、人権意識に敏感な人たちが鈍感な人たちを非難している、というような。一方で、今回の米議会の動きは安倍首相による日本の右傾化に対する警戒から生じているという背景は私も感じているのですが(加藤紘一さんに対するテロは米国ではかなり衝撃をもってうけとられており、それほど前の話ではない)、右傾化による国家主義傾向の高まりと従軍慰安施設の設置のような人権侵害の発想がどこかで結びついているものならば、私はおおまかには全体としての批判意識は筋が通っているのではないかと思っています。もちろんこうした話には「じゃあイラクでお前はなにをやっている」という買い言葉もあるかもしれませんが、最初に書いたようにそれはそれ、これはこれ、ということです。それにしてもあいかわらずガイアツ。ああ。
なお、最近みつけた田中宇さんの記事「日米同盟を揺るがす慰安婦問題」には、こうした米国政府・議会の動きが詳しく書かれており、参考になると思います。ただし、「日本の反米を扇動して世界を多極化する」という少々深読みしすぎな解釈には私は首を傾げます。そうした工作めいた背景があるというよりも、そとから眺めたときの日本の右傾化は、それほど著しいのです*1。そういえば教育基本法の改正に関しても、ナショナリズムに傾斜を強める日本、ということで日の丸に一斉にお辞儀する生徒の写真などを掲載したりしながらこれまた結構な記事になっていました。
さらに第三点について。私が現時点でもっとも有効な解決策だと思っているのは、従軍慰安婦の問題を国費を投入して徹底的に調べあげること、その結果をどんなに分厚くなっても一連の資料集としてまとめ、世界各国の言葉に翻訳して出版し、全世界の大学や図書館に無料で寄贈することです。たとえば第三の点に関して私は専門家ではないので、「強制された慰安婦は何人が妥当である」などということはできません。しかしながら、先日天木さんのサイトに外務省にはまだまだ公開されていない資料がたくさん眠っている(という元外務省官僚の目撃証言なのだから信じるに足るでしょう)、という一文を見たり*2、あるいは4月14日に外国特派員協会で行われたあらたな従軍慰安婦関連資料発掘の発表に関する記者会見で、「まだほかにも資料があるのか」という記者の質問に対して、吉見さんがずらずらとこんなものもある、あんなものもある、といまだに公表されていない資料の数々をリストしています。思うに人手もたりないのでしょう。国が予算を組んでサポートすることにすれば(もちろん内容に関しては口出ししないという前提ですが)、こうした作業も格段に早いスピードで進むでしょうし、また、きちっとした資料の分析から、客観的というに足りる歴史的事実を救い出し、世に示すことができるのではないでしょうか。また、そうした資料から「軍の関与」がいったいどのようなものであったのか、より正確に知ることもできる。そうした自らの歴史を客観的に検証しようとする姿勢は、高く評価されることはあっても、侮蔑の対象になることはありません。ましてや「他の国もやっていた」のであればなおのことです。

*1:そういえば、1935年の日本のカラー映画を眺めていて、「軍国主義日本」にはとうていみえないなあ、と思いました。http://www.youtube.com/watch?v=azcJCLrwU74

*2:引用:「敗戦時に証拠隠滅で多くの文書が焼却されたとしても、各省の倉庫にはおびただし量の文書が未調査のまま残っている。存命している当事者はまだ生きている。私もかつて国会答弁を作成する為に外務省の書庫で調べ物をした事があるが、その時知ったのは、幹部から平の職員に至るまで、外務省の職員がまったく知らない書類が山のように書庫に眠っているという事実だ。それを調べれば良いだけの事だ。それを官僚はやろうとしないのである。しかも調べるとまずい事実が明らかになるからやめようという明確な政策判断で調査をしないのであればまだわかる。しかし実態は単なる怠慢でしかないのだ。そんな面倒な事よりも、目先の事態を政治的に乗り切る事が処世術であるのだ。」